257号表紙

No.257(平成6年3月)

特集:

有馬いまむかし(下)

有馬いまむかし(下)

(左)
北区山田町西下のたんぼ道の三差路に立つ北向地蔵。大師座像の下に「右ひやうご左ありま」とある。ここは湯山街道(山田道)の旧道で藍那を経て兵庫に通じる右側の道は、源義経が一ノ谷合戦の際この道を通ったといわれ、義経道とも呼ばれている

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近世前期の主要道(部分)
「新修神戸市史」歴史編V(近世)より
  • 写真JR生瀬駅から国道176号線に出、大多田橋を渡ると「右三田 左有馬道」の道標がある
  • 写真蓬来峡のすぐそばを流れる大多田川。川の向かって左側上に、現在は自動車道が走っている
  • 写真古道は各地でひっそりと生きている(山田町上谷上の旧山田道)
  • 写真四十八瀬飛越(とびこえ)の図。有馬道四十八瀬の五月雨(さみだれ)は名こそながれて数や増すらん。『滑稽(こっけい)有馬紀行』より
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  • 写真小さな砂防堤が連続する座頭谷。風化によって崩れやすい地質をもつ六甲治水工事の典型といわれ、この工事は明治32年(1899)着工、昭和7年(1932)完成した。大多田川から分岐しているこの谷へは昔から迷いこみやすかったらしく、病気を治すため京から有馬をめざした座頭が、この谷に迷って死んだ言い伝えがある。谷をつめると、東六甲縦走路の棚越新道に出る
  • 写真蓬来峡。この付近が六甲山系のなかでも特に風化の激しい花こう岩からなっているうえ、大多田川の傾斜が急で侵食作用が強いためこのような奇峰が生まれたといわれている
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    つくはら湖。斜張橋は衝原大橋。湖畔と橋は神出山田自転車道となっている

    写真無動寺の参道
  • 写真丹生山。里の人たちは古くからこの山に限りない親しみをもっている。写真上中央が頂上
  • 写真道角に立つ道標。「南 山田兵庫、東 有馬大坂」
  • 写真淡河の旧街道筋に面した本陣(江戸時代)の土塀
  • 写真三本松の史跡。松の木は今はなく、竹ヤブになっている
  • 写真旧街道筋の往時をしのぼせる家並み
  • 写真淡河町の本陣跡の鬼瓦(大正時代)。鬼瓦は一般的には魔よけの意味で鬼の面をつけることが多いが、これは福を呼ぶ意味でこんな装飾瓦にしたのだろう
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  • 写真阪神電鉄深江駅の北側(深江北町3丁目)に深江財産区が立てた魚屋道の道標
  • 写真魚屋道にまつられている山の神。深江地方では古くから、春に山から里におりて田の神になり、秋には稲を実らせた後、山に帰るという山の神が広く信仰されていた
  • 写真風吹岩からの眺望。目の前にロックガーデンが見える
  • 写真風吹岩
  • 写真雪の魚屋道を登るハイカー。六甲山頂はもうすぐだ(2月18日撮影)
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    本庄橋の横に整備された休憩所。この付近はむかし、北の山の幸(さち)と南の海の幸を交換した"替え場"だったといわれている

    写真六甲最高峰の三角点。ここが公園として整備された平成5年7月までは米軍施設になっていたため、三角点は長く見ることができなかった
  • 写真一軒茶屋から有馬側の魚屋道を下って間もなく、道のそばの一段高い所から見下ろすように立つ行者堂
  • 写真有馬の魚屋道登り口近くにあった鳥地獄のほこら。昔は、この付近からわき出す炭酸水で鳥や虫が死んだため、毒水として恐れられていた(大正〜昭和初期)
  • 写真JR住吉駅北方の三差路にある「右モ左モ有馬道」の道標。右へ行っても左へ行っても、この先で一つになって有馬へ行けますよ、と教えている珍しい道標である
  • 写真渓流に沿ってさかのぼる落ち着いた雰囲気の住吉谷道
幸田露伴「まき筆日記」
五月六日の朝いと夙く起き出でゝ……神戸行きの一番汽車に乗りて、有馬の温泉へと心ざすまゝ大坂をも突と通り抜け、住吉〜と驛夫の呼ぶ時心得たりと飛び下りけるが、此所より有馬へは三里に足らぬところなれど打仰ぐばかりの山を望みて上ることなれば……二挺の駕籠を連ねて路の邊の草花を品し樹ぶりを評し合ひなどしつゝ長閑に進むことゝなりぬ、……上るすがら前には摩耶六甲の山々の赭く禿げたるところぐに小松の蔟生へるを見、背には晴れたる海の平らかにして日の光りを受けたる帆舟の彌白く見ゆるが遠く近くに浮べるを見るなど眺望の興少からず、……筆造りの家、鬚籠其他さまぐの竹細丁もの鬻ぐ舗など見かくるやうなれば、はや有馬に着きたりと思ふ問も無く輿丁は我等を下の坊といふ客舎の前に下しぬ、……。(明治文学全集94 明治紀行文学集より抜粋)
有馬の物産
幸田露伴を乗せたカゴは、目的の有馬の町に入る。「まき筆日記」の記述は、
 「筆造りの家、鬚籠(ひげご)其他さまざまの竹細工もの●ぐ舗など見かくるやうなれば、はや有馬に着きたりと思う間も無く……」
と続き、やがてカゴは下の坊という旅館に着く。
有馬の物産は入湯者向けの土産品が中心で、露伴も書いているように古くから筆と竹器が有名であった。筆は有馬筆と呼ばれ、言い伝えによると、舒明天皇が入湯された際、糸で筆をつくって奉ったことに由来するという。中でも有馬独特の人形筆が評判だった。これは、美しい色糸で筆の軸をまき、人形を作ってその中へしかけ、筆が回転するのにつれて出入りするようにしたもので、その技法は今も受け継がれ売られている、
 竹器は秀吉入湯の折、千利休の好みにより籠(かご)を作ったのがはじめだと伝えられている。

  • 写真昔からの技法を受け継いでの有馬筆づくり
  • 写真美しい人形筆
  • 写真見事な手さばきで仕上げていく竹細工
  • 写真魚屋道から見た湯槽谷山。雪が積って白く見える深い谷は湯槽谷
  • 写真雪の落葉山と頂上の妙見堂。有馬でも十何年ぶりかの雪といわれた2月12日、落葉山は白いベールをすっぽりとかぶって幻想的な美しさを見せていた
  • 写真六甲山上から有馬三山を望む。写真左の山が湯槽谷山、それから右下へ灰形、落葉山と下り、有馬温泉はさらにその下にかくれて見えない。裏六甲特有の山深い趣を漂わせている連山である
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    平野祇園神社

    写真有馬道の新道(左)と旧道(右)(山麓バイパス天王谷インター付近)
  • 写真天保4年(1834)奉納の祇園神社の常夜燈有馬道のすぐ脇に立っている
  • 写真旧道にある地蔵さん
  • 写真有馬道を見おろして立つ小部峠の宝篋印塔。室町時代初めの建立で、往来安全のため造られたものらしい
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    多聞寺(唐櫃)。平清盛が福原に遷都したとき、この地が丑(うし)寅の方角に当たるので、京都の鞍馬山になぞらえ新都の守護として寺領千町歩を与えたと伝えられている古寺である

    写真多聞寺脇参道の羅漢(らかん)さん

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六甲をひとまたぎ。楽しさいっぱい

"空中散歩"
六甲山をひとまたぎして有馬温泉へ。日本最長5,000mの六甲有馬ロープウェーは、みなと神戸を眼下に、また、四季を通じてそれぞれに移り変わる自然を空中から眺める景観は、素晴らしいのひとことです。
六甲有馬ロープウェーTEL078-891-0031

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    山と海が一つにとけあった見事な眺望。六甲はやはり明るい陽ざしがぴったりです。

    写真ゴンドラから冬の眺望を楽しむ乗客
  • 写真六甲の夏は、市民の花「アジサイ」が花ざかり。空気がいいから花も一段と美しく見えます。
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    楽しさ、キラキラ。まさに"空中散歩"の気分です。

    写真雪をかぶった冬の六甲もまた格別。遠く紀州の山々がくっきりと見えます。
  • 写真山頂から一年に、三方を山に囲まれた有馬温泉郷へ。もうすっかり金泉・銀泉の湯にひたった気分です。
  • 写真ロープウェーの真下にひろがる裏六甲の植林帯。自然を守り育てることの大切さが実感できます。
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湯山街道(旧有馬街道)の蓬来峡(ほうらいきょう)
露出した花こう岩の断層が針の山のように折り重なっており、別名剣山と呼ばれている。六甲山系の自然の中で、思わず息をのむような奇勝である(西宮市)
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  • 写真有馬町の北の西宮市山口町の十八丁川に残る橋脚の遺構
  • 写真現在の有馬駅付近。駅は今は病院になっているが、橋や桜並木の感じなど昔とよく似ている
  • 写真神鉄道場駅南方の神戸電鉄線。電車が走っている左側、少しくぼんだ水田の中を有馬軽便線の廃線敷が南へのびている
  • 写真神鉄道場駅のすぐ東側にある旧有馬線の城山橋。この下を軽便線が通っていた。この地点が神鉄三田線と軽便線が最も接近していた
  • 写真大正5年6月の有馬軽便線時刻表。1日7便で、うち1便は大阪からの直通便となっていた。大阪から有馬への所要時間は2時間23分<
取材協力・写真提供
順不同・敬称略
有馬温泉観光協会・西田有馬筆本舗・竹の店くつわ・兼先勤・市立博物館・市立中央図書館

参考図書
 「北区の歴史」北区役所まちづくり推進課編・「六甲」竹中靖一著・「有馬温泉史話」小澤清躬著・「江戸温泉紀行」板坂耀子編・「神戸の道標」のじぎく文庫山下道雄 沢田幸男 永瀬巌共著・「六甲山八イキング」大西雄一著・「明治文学全集25 幸田露伴集」幸田露伴著・「国語大辞典 第1巻」国史大辞典編集委員会編・「新修神戸市史歴史編V近世」新修神戸市史編集委員会編・「神戸の史跡」神戸市教育委員会編・失われた鉄道・軌道を訪ねて「有馬鉄道(国鉄有馬線)」松下了平、田上綱彦(鉄道ピクトリアルS 63ー4月号より)・杜山悠の編集する小さな風土記「特集有馬温泉」

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