253号表紙

No.253(平成5年11月)

特集:

神戸おもしろコレクション(下)

神戸おもしろコレクション(下)

尼崎汽船元扱所・増倉廻漕店引札

明治中期、市立博物館蔵。尼崎汽船の創立者尼崎伊三郎は明治12年(1879)より海運に従事し、中国、長崎、鹿児島、今治、高松など神戸からの多くの航路を開拓した。増倉廻漕店は明治21年に解散した神戸の船舶扱店田中組から事業を継承し、尼崎汽船の専属店となった

汽船取扱所・加納廻漕店引札

明治後期、市立博物館蔵。当時の船のスケジュールは不安定だったり、便数も少なかったため、各汽船の取扱所は乗客のために旅館を兼業していた。この引札で2階、3階がそういった用途に使われていたことがうかがえる

神戸海洋博物館

中央区波止場町メリケンパーク内(JR・阪神元町駅、阪急高速花隈駅から南へ徒歩約10分)10:00〜17:00 月曜日(祝日のときは翌日)、年末年始休館 入館料/大人500円、小・中生250円(ポートタワーとの共通券大人700円、小・中生350円) 駐車場/乗用車500台、バス32台 電話番号(O78)391−6751((社)神戸港振興協会)

船体装飾と船首像
 人間の歴史が始まってから、19世紀までの何千年という長い間、船は木材で造られてきた。彫刻しやすかったからかも知れないが、古くから船体にはいろいろな装飾が施された。特に船首、船尾を飾る彫刻は、古代エジプトの昔から、記録に残されている。
 船首像は船乗りにとって、ときにその誇りとなり、その心をひき付ける魅力の象徴ともなった。帆船から汽船へ変わっていっても、その過渡期には、船首像や船体の構造などに帆船の習慣がそのまま残されていた。現在では、練習帆船でも船首像を持つものは少なく、紋章や旗章を唐草模様で飾る程度のものが多くなった。
  • 写真

    第8多聞丸船首像

    八馬汽船(本社:西宮)から寄託されたもので、わが国で現存する数少ない船首像の一体。船首像は船の先端に取りつけられるもので、航海の守護神の意味が強かったが、大航海時代を経て世界に未知の海が無くなると、マスコットとしての性格が強くなった。この船首像は19世紀初頭にオランダで彫刻されたといわれている
  • 写真

    貿易商標 神戸横浜ラーシ・ルイテラ商社

    貿易港の神戸や横浜には多数の外国商社が進出し貿易を行ったが、この貿易商標もパリのヘアマン・カン本店より輸入された生地反物に添付されていたものと思われる
  • 写真

    開港一番船「HAYAMARO」模型

    明治元年に発行された神戸初の英字新聞の船舶スケジュール表のトップに記載されているのがこの船。1858年に英国で建造された鉄製の汽船で、神戸開港の前日の1867年の大みそかに横浜から到着した。この模型は、米国の南北戦争で南軍の船として活躍中のスケッチをもとに製作した約1/60のもの
  • 写真

    亜国蒸気飛脚船問屋 河内屋引札

    引札とは広告のチラシのことだが、この引札は、初めて太平洋を横断する蒸気船の定期航路を開設して、その後しばらく日本の沿岸輸送を独占していたパシフィック・メール・ラインの船舶発着表を刷り込んでいる。左肩の「辛未年」の干支(えと)から明治4年に作られたものであることが分かる。掲載された船は沈没したエリエルを除き、明治8年までに郵便会社三菱汽船に譲渡され、黎明(れいめい)期の日本海運の原動力となった
  • 写真

    ポスター「PRESIDENT CLEVELAND」

    歌謡曲「憧れのハワイ航路」のモデルといわれている僚船のWILSONと共に、日本/ハワイ/カリフォルニア間に就航していたAPLの客船。その二本煙突に鷲(わし)のマークを付けた白い優美な船体は戦後の日本人にとって米国の豊かさのシンボルでもあった。絵柄は横浜の大棧橋に着岸する同号で鯉のぼりが日本的情緒をかもし出している。昭和30年代

神戸商船大学海事資料館

東灘区深江南町(阪神深江駅から徒歩15分)9:00〜17:00(12:00〜13:00休み) 土、日曜日、祝日、年末年始休館 無料(見学は要事前連絡) 電話番号:(078)431-6236(神戸商船大学付属図書館)

  • 写真

    逆針磁石

    一般に陸で使う磁石とは方向文字が反対まわりになっていて、子(ね、北)を船首に合わせて固定すると、針の示した文字が船の進んでいる方向と分かる。和船独特のもので約300年前に日本人が発明した

    写真

    遠目鏡(とおめがね)

    望遠鏡は江戸時代には遠目鏡と呼ばれた。享保年間(1716〜1735)に森仁左衛門が長崎で製作したものとみられている。遠目鏡はヨーロッパからもたらされ、日本でも長崎で江戸中期から作られるようになった。相当高価なもので、普通の船頭では持つことができなかった
  • 写真

    朝顔丸船首像

    朝顔丸は明治22年(1889)英国で建造された2,461総トンの三連成レシプロ機関付鋼船で、明治26年から日本郵船の神戸一小樽航路に就航、明治37年日露戦争の旅順港閉鎖のため自沈した。船首像は旅順への出発の前に取りはずされ、昭和23年、運輸省海技専門学校が譲り受けたのち神戸商船大学に移管された。現在展示中の船首像は石こうで修復されている
  • 写真

    舟箪笥(たんす)

    和船の船頭が重要書類などを入れていた。現在の手提げ金庫にあたる。ふたの内側に美人版画を張ってあるのが面白い

神戸税関広報展示室

中央区小野浜(JR、阪神、阪急、地下鉄三宮駅から徒歩約15分)9:00〜17:00 土・日曜日、祝日、年末年始休み 無料 電話番号(078)333−3028

神戸税関展 開催
日時:平成5年11月22日(月)〜28日(日)10:00〜17:00
場所:神戸税関メリケン波止場庁舎(メリケンパーク入口)
珍しい輸入品や、押収品の展示など。
期間中、麻薬探知犬のデモンストレーションあり。問い合わせ:神戸税関 電話番号 333−3028

アフリカゾウの悲劇
 インドゾウはCITES(ワシントン条約)Iに指定され、厳重に保護されている。ところが、アフリカゾウはCITES IIに指定され、輸出国政府の輸出許可書さえあれば輸入できたので、ここからアフリカゾウの悲劇が始まった。
 かつては、サハラ砂漠以南のアフリカに、アフリカゾウが数千万頭いたといわれているが、昭和56年には約120万頭、昭和63年には約63万頭に激減してしまった。これは、主として象牙めあての乱獲のためである。インドゾウと違ってアフリカゾウには雄にも雌にも象牙があり、これをねらった密猟が後をたたない。ワシントン条約は、野生動植物の国際取引を規制して、絶滅のおそれのある動植物を保護することを目的とした条約で、日本をはじめ114か国が加盟している。
  • 写真展示室
  • 写真

    象牙(ぞうげ)の加工品

    生きている野生動植物やその加工品の中には、象牙のようにワシントン条約によって国内持ち込みが規制されているものがある。それらをお土産として買うことは、結果として、かけがえのない野生動植物の生存を脅かすことになる。税関でのチェックは厳しい
  • 写真

    これも輸入品!

    日本独特の正月用品や絵馬まで、最近は中国や東南アジアから輸入している
  • 写真

    大鋸(おが)

     大鋸は全国に10数点残されているが、このノコギリはその中でも最大の、石峯寺(しゃくぶじ、北区淡河町)に保存されている鋸身(のこみ)を復元したものを、三十二番職人歌合(15世紀)から推定復元した枠に取り付けて展示している。大鋸はH型の枠の一方に鋸身をとり付け、反対側にかけた弦をねじって鋸身をピンと張り、二人で引いて使う(竹中大工道具館)

(財)竹中大工道具館

中央区中山手通4(JR、阪神元町駅から徒歩10分) 9:30〜16:30 月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始休館 入館料/一般300円、大・高生200円、中・小生100円 電話番号(078)242−0216

製材法の大革新―大鋸(おが)―
 大鋸は室町時代に出現した製材用ノコギリである。
 それまでの製材は、オノやノミなどを使って木材を割る、いわゆる打ち割り法だった。これには、ヒノキや杉のように木目の通った建築用材が必要だったが、室町のころになるとこれらの、良材資源が次第に底をつくようになった。こうした資源問題を背景に、ちょうどそのころ中国から導入されたのがこのオガである。これによって、松やケヤキなど使いにくかった木が利用できるようになり薄い板材や細い角材などの加工ができるようになって、天井、床などの構造に大きな影響をもたらした。
  • 写真展示室
  • 写真

    墨掛(すみかけ)道具

    木材を加工する際に使う墨壷(すみつぼ)、墨さし、曲尺(さしがね)などの道具を総称して墨掛道具という。これらは建物の仕上がり精度に大きな影響を与える大切な道具である
  • 写真

    突鉋(つきかんな)

    大鋸と一緒か、やや遅れて中国から伝来したものとみられている。当初は、取っ手を握って押して使ったが、やがて引いて使う現在の形へと変化した

    写真

    前挽大鋸(まえびきおが)

    大鋸に代わって一人挽きの前挽大鋸が登場、製材の主流を占めるようになり16世紀後半から広く普及しはじめた

さくら銀行貨幣資料室

中央区浪花町、神戸本部ビル2階(JR、阪神元町駅から徒歩8分) 9:30〜15:00 銀行休業日は閉館、他に資料整理休館もあり 無料 電話番号(078)331-8101

  • 写真「両替屋の帳場」
  • 写真

    兵庫開港金札

    慶応3年(1867)。兵庫(後に神戸)開港に備え、富商の協力を得て幕府が発行した金札。硬貨主義を建前とした幕府としては最初で最後の紙弊となった。徳川のあおいの紋がすかしで入っている

    写真

    兵庫県札

    明治2年(1869)。開港、居留地建設などの事業は初代兵庫県知事伊藤博文のもとで進められたが、その過程で兵庫県札が4種発行された
  • 写真

    尼崎藩藩札

    江戸時代には、幕府の発行する金属貨幣以外に、地方諸大名が発行した藩札や、商人の組合、寺社、町村などが発行した私札がさかんに使われた

UCCコーヒー博物館

中央区港島中町(ポートライナー南公園駅北側) 10:00〜17:00 月曜日、祝日の翌日、年末年始休館 入館料/大人210円、小・中生100円 電話番号(078)302-8880<

初期のコーヒーカップ
 日本で最初に磁器を焼いたのは佐賀県の有田(1616年)である。最初のころは白磁の上に明るい青色の文様を描く染め付けであったが、1646年、酒井田柿右衛門によって多彩色の赤絵の技法が完成、壺(つぼ)や花瓶、小碗(わん)などがヨーロッパなどに大量に輸出され、「伊万里焼」と呼ばれて世界的に有名になった。
 他方、ヨーロッパで、コーヒーハウスでの飲用の習慣は1615年イタリアにはじまり、各国に広まった。用いられたコーヒーカップは日本や中国から輸入した磁器で、湯飲み型の取っ手のない日本の小碗をそのままの形で、やや深めの受け皿の上に置き使用した。ドイツのマイセン窯が中国・景徳抻や伊万里焼の影響を受け、初めて白磁器を焼いたのは1709年。これがヨーロッパでの最初の磁器である。
  • 写真古伊万里

    1630年作。江戸時代につくられた伊万里焼は、新しいものと区別して「古伊万里」と呼ばれる。伊万里は、有田磁器の輸出積み出しが伊万里港に厳しく限定されていたため、港の名を取ってそう呼ばれるようになった(写真上)

    マイセンの初期のコーヒーカップ

    1740年ごろの作。取っ手のないカップと深皿に、古伊万里の影響が強くみられる。カップに取っ手が付き、現在のような形と浅い皿となったのは18世紀末といわれている(写真下)
    • 写真

      コスタリカの紙弊

      コーヒーの生産地らしく、収穫から船積みまでが描かれている
    • 写真

      イブリック

      サウジアラビアのベドウィン族が使用していたものでこの器で、弱火で3回ふっとうさせるトルコ式のいれ方でコーヒーを飲む
    • 写真

      バビェル・ペレイラ翁の切手

      167歳を記念して昭和31年(1956)コロンビアで発行された。「つまらぬことにくよくよせず、コーヒーをたくさん飲んで、うまい葉巻を吸うことさ」と長生きの秘けつが書いてある
    • 写真

      「一杯のコーヒーから」楽譜

      服部良一作曲 藤浦洸一作詞(昭和14年)

    NTT神戸支店資料保存室

    中央区御幸通5、NTT神戸支店御幸ビル9階(阪神三宮駅から徒歩5分) 9:30〜17:00 火・金曜日のみ開館 無料(団体見学は要予約) 電話番号(078)232-9220

    神戸と電話
     神戸で電話交換がはじまったのは明治26年、加入数はわずか74だった。翌27年に神戸‐大阪間の市外通信、同32年に神戸‐東京間の長距離市外通話が開始され、同34年には神戸駅と兵庫駅に公衆電話が登場した。
     大正2年、市内の加入数は5千を突破。さらに同9年、六大都市に度数料金制が実施されると、電話は一般家庭にもいっそう広まり、加入数1万突破。そして同11年、横浜や大阪に先駆け、わが国初の岸壁電話(船舶と陸上間の通話)が神戸港ではじまった。それまで岸壁に着いた船への連絡はいちいち口伝えするしか方法はなかったので、海運関係者にとっては画期的なことであった。ダイヤル式電話が登場したのは昭和3年である。
    • 写真

      展示室

      写真

      電話番号簿

      昭和7年、8年、22年
    • 写真

      デルビル磁石式壁掛け電話機

      明治29年
    • 写真

      2号自動式卓上電話機

      昭和2年。事業所などで使用され、一般にはあまり出回っていなかった

    大洋真珠パールギャラリー

    中央区港島中町、パールシティビル6階(ポートライナー中埠頭駅から西へ徒歩3分)10:00〜18:00 土・日曜日、祝日、年末年始休み 無料 電話番号(078)303-6606<

    真珠にまつわる面白ばなし
     ローマ時代、才色兼備のエジプトの女王クレオパトラが英雄アントニウスをもてなしたとき、「世界一のごちそう」が出るとのふれこみだったが、なんと、それはクレオパトラが真珠のイヤリングを酢にとかして飲んだというもの。真珠には不老長寿の効き目があるとされていた。
     13世紀、ユーラシア大陸を踏破した偉大な旅行家マルコポーロの旅行記『東方見聞録』は、日本をジパングの名で初めてヨーロッパに紹介したが、その中に「色のよい真珠を大量に産し、その他宝石も多い」との記述があり、すでに真珠の産出国であったことをうかがわせる。当時、絹と同じようにラクダの背にゆられながらシルクロードを旅した真珠は、貨幣としての役割も果たしていたといわれている。
    • 写真

      虹色の川

      美しい色彩と輝きをもつ真珠は自然が生み出した虹色の川を思わせる(大洋真珠パールギャラリー)
    • 写真

      展示室

      写真

      個性的な真珠

      親(貝)の表情も豊かならば、子供たち(真珠)もさすがに個性的である。淡水真珠(上左)、白チョウ貝(上右)、アコヤ真珠(下左)、黒チョウ貝(下右)

    田崎真珠パールプラザ

    中央区港島中町、田崎真珠本社ビル一階(ポートライナー市民広場駅から北東へ徒歩7分) 9:00〜18:00 年末年始を除き無休 無料 電話番号(078)302-3321

    • 写真

      展示室

      写真

      王冠

      ミスユニバース日本代表の真珠の王冠。アコヤ真珠730個、南洋真珠13個を使用。昭和42年の第16回日本大会以来、頭上に輝いている
    • 写真

      長尾鶏(おながどり)

      ポートアイランド博覧会(1981)を記念し製作した作品。2万個のアコヤ真珠を主体に純金、ダイヤモンド、サンゴ、ルビーなどを用いている
    • 写真

      三番叟(さんばそう)

      アコヤ真珠、南洋真珠、サンゴ、ダイヤモンド、エメラルドなど使用。昭和58年に製作

    グリコピア神戸

    西区高塚台(地下鉄西神中央駅から市バス23系統で高塚台1丁目下車すぐ、同12系統で高塚台2丁目下車、徒歩5分) 見学は要申し込み 無料 電話番号(078)991-3693

    チョコレートとの出会い
     日本人とチョコレートの出会いは、1617年(江戸時代)伊達政宗の家臣支倉(はせくら)常長が、メキシコへ立ち寄ったとき、ビスケットやパンとともに薬用としてのチョコレートを味わったのが最初だといわれている。
     そして、日本にチョコレートが入ったのは1797年のこと。長崎の出島にその記録があり、「長崎寄合町諸事書土控帳」の中の「貰品(もらいしな)目録」に"ショクラアト"という言葉が出てくる。その時もチョコレートは飲み物であった。またチョコレートは、当時の医学書に栄養が多く体によい飲み物とされていた。
    • 写真

      懐かしいグリコのおまけ

      メダルの時代(昭和2年)。メダルは豆玩具といわれ、おもちゃの出発点であった

      写真

      昭和24〜27年。物資統制時代も終り、本格的なおもちゃづくりが再開された

      写真プラスチック時代の到来(昭和32〜41年)。はじめてプラスチックが利用されたが、まだ単色で形も小さい
    • 写真

      発声映写装置つき自動販売機

      昭和6年に東京に設置された。10銭を入れるとグリコが出て映画が見られ、音楽も聞け、しかも2銭のおつりが出てくるので大変な人気を呼んだ。昔の資料で当時の装置を再現した
    • 写真

      チョコレートーポット

      チョコレートが飲み物として親しまれていた当時、陶器や金属のポットの中にカカオ、ミルク、砂糖などを入れ、お湯をそそいでかきまぜ、コーヒーカップのような入れ物で飲んでいた

    お酒の資料館

    • 写真

      灘三郷酒蔵地図

      全メーカーのラベルも展示(甲南漬資料館)
    灘の酒蔵と六甲おろし
     灘の酒のうまさは、山田錦など良質の播州米と宮水、そして丹波杜氏(とうじ)の優れた技によって支えられてきたが、これらに加えて、忘れてならないのは六甲おろしの冷気である。
     かつて、日本酒は寒づくりがよいとされ、11月から3月の間だけつくられていた。この冬の間、酒をつくり、夏、貯蔵しておく所が「酒蔵」である。例えば、沢の鶴資料館は昭和49年まで、130年以上にわたってこの役目をつとめてきた昔の酒蔵である。寒づくりがよいとされる理由は、六甲おろしの冷気を蔵のなかにとりいれ、仕込みの工程で、主として酵母菌だけがうまく働いていい酒が生まれるように、一定の低温状態に保たれているからだ。
    甲南漬資料館
    東灘区御影塚町4(阪神新在家駅から徒歩10分)9:00〜18:00 正月3が日を除き無休 無料 電話番号(078)841-1821

    • 写真最初の金銭登録機
    • 写真

      甲南漬本舗の帳場

      大正時代
    「昔の酒蔵」沢の鶴資料館
    灘区大石南町1(阪神大石駅から南へ徒歩7分)10:00〜16:00 水曜日、年末年始、盆休み休館 無料 電話番号(078)882-6333

    • 写真

      醸造の小道具

      写真

      資料館外観

      酒蔵と灘の酒造用具一式は県指定「重要有形民俗文化財」
    • 写真

      樽回船

      縮尺1/15、野田房吉作。江戸中期から明治初期まで江戸‐灘間を酒を主として運んだ専用船。特長は舵(かじ)が船首より高かったことで、灘から江戸は4日かかった
    • 写真

      瓶詰清酒の日よけ

      丹念にワラで編まれていて、こもかぶりのよう。割れ防止を兼ねて上等酒に用いられた
    福壽 酒心館
    東灘区御影石町1(阪神石屋川駅から南へ徒歩5分)10:00〜16:00 水曜日、年末年始、盆休み休館 無料 電話番号(078)841-6977

    • 写真酒器

      明治時代
    • 写真

      野燗(やかん)(写真左)と行楽用酒器入れ

      江戸期。野外で熱カンが楽しめる優雅な道具。炭を入れ中の湯をあたためてカンをする
    • 写真展示室
    ギャラリーSHU-SEN
    灘区新在家南町1、六甲ヴァントワァ内 酒泉1階(阪神新在家駅から南へ徒歩5分)10:30〜19:00 火曜日不定休 無料 電話番号(078)822-8550

    • 写真酒器のいろいろ
    • 写真酒器のいろいろ
    酒造用具と動物名
     酒造用具には動物名の付いたものが多い。多分、故郷を遠く離れて仕事をしている杜氏たちが、さびしさをまぎらわせるためこんな呼び名を付けたのだろう。
     キツネ桶は、口がとがってキツネに似ているのと、桶に付着するもろみを払い落とすため、桶の底をたたくとコーンと響きのよい音を出すのでこの名が付いた。猿は、コシキの底の穴の上にこれを置き、蒸気をまんべんなく拡散するようにした道具。裏返すと赤い猿のお尻に似ている。そして、猿に蒸し米の付着するのを防ぐ渋染めの麻袋は、猿の着物(猿のべべ)。また、ふのりを付けた目張り紙を乗せて大桶の輪にひっかける台をツバメの巣、大桶の横に置いた作業台の歩み板を支える四つ足の支台を馬、同じく木製の小型四脚台を猫と呼んでいる。
    白鶴酒造資料館
    東灘区住吉南町4(阪神住吉駅から南へ徒歩5分)9:00〜16:30 月曜日、年末年始、お盆休館 団体は予約制 無料 電話番号(078)822-8907

    • 写真

      阿弥陀車(あみだぐるま)

      八角形の車輪と車軸で構成されていて、形が阿弥陀如来像の光背に似ているところからこの名で呼ばれた。わずかな力で重量物を上げ降ろしできるので、大きな桶を2階に上げたり、降ろしたり、酒槽(さかぶね)のはね棒をつり上げるときなどに使用された
    • 写真

      キツネ桶

      醪(もろみ)を渋袋に入れる時、この桶に一度くみ、とがった先から袋にそそいだ
    菊正宗酒造記念館
    東灘区魚崎西町1(六甲ライナー南魚崎駅から北へ徒歩3分、阪神魚崎駅から南へ徒歩8分) 10:00〜15:00(見学受付は隣接の参考室)要電話予約 無料 休館/4〜9月は火曜日(ただし10〜3月は火曜日も開館)、年末年始、5月連休、盆休み、その他一定の日(年間約10日) 電話番号(078)854-1029

    • 写真

      菊正宗酒造記念館外観

      内部の保存酒造用具は国指定「重要有形民俗文化財」

      写真

      八方(はっぽう)

      電気のない時代に作業場の上にこれをつるし、八方の小灯(ことぼし)に松ヤニを入れて火をともし、明かりをとっていた
    • 写真

      酒の輸出陶器瓶

      輸出創始期(明治29年)。瓶は上げ底になっていた
    • 写真

      輸出用徳利(とくり)

      江戸末期。右が酒用、左はしょう油用

    須磨海浜水族園

    須磨区若宮町(JR・山陽須磨駅から市バス85系統で須磨水族園下車、山電月見山駅から南へ徒歩15分)9:00〜17:00 水曜日、年末年始休園(ただし祝日、春・夏休みは開園) 入園料/大人(18歳以上)8OO円、中人(15歳以上18歳未満)500円、小人(6歳以上15歳未満)300円、幼児(6歳未満)無料 再入園システムあり 電話番号(078)731-7301

    貝のギャラリー
     日本貝類学会の創立者の一人であり名誉会員でもあった故杉谷房雄氏が収集した貝の標本「杉谷コレクション」5千種、2万点が昨年10月、遺族から神戸市に寄贈された。このため、須磨海浜水族園では「貝のギャラリー」を設け、貴重な標本を中心に約300点を本年3月から常設展示している。
     杉谷氏は、那覇波之上(なみのうえ)宮で神職についていたとき、沖縄の澄んだ海と、そこにすむ美しい貝に感銘を受け、貝の収集を始めた。コレクションの多くは、大正13年から昭和30年代のまだ美しかった日本の海で収集されたものである。ギャラリーでは貝のさまざまな色、形を通してその美しさや面白さをアピールしている。20〜21ページ参照
    • 写真須磨海浜水族園「貝のギャラリー」
    • 写真

      ワシントン条約で規制されている貝殻や加工品

      貝の中にも条約に定められたものがあり、貝殻や加工品でも輸出入することはできない。海外で土産物などを買う際は要注意
    海が生み出した「七色の虹」
    須磨海浜水族園「貝のギャラリー」
    写真

    二枚貝(中央)

    二枚の貝殻をもつ二枚貝の中には、同じ種類でもいろいろな色をしたものがある。まるで"色のマジシャン"であり、海が生み出した七色の虹のようだ

    タカラガイ(右上)

    タカラガイのなかまは主に暖かい海にすみ、殻の表面がつるつるしていて美しい光沢がある。文字どおり宝石のようで人気が高い

    貝殻と人の暮らし(左上)

    カメオなどの装飾品は、ピンクガイなど殻が丈夫で美しい貝を彫刻して作られ、また、ボタンや碁石などに加工される貝もある。貝殻は昔から人の暮らしとかかわってきた

    須磨寺宝物館

    須磨区須磨寺町(山陽須磨寺駅から北へ徒歩7分、JR須磨駅から北東へ徒歩15分)9:00〜17:00 入館料/大人100円、小人50円 無休 電話番号(O78)731-0416

    • 写真

      青葉の笛

      敦盛が愛用した笛。須磨寺の代表的な宝物として知られている
    • 写真

      平 敦盛

      「源平ロマン展記念図録資料」(平家五都市会議発行)より
    • 写真
    • 写真敦盛の画像
    • 写真敦盛着用の鎧兜(よろいかぶと)

    湊川神社宝物殿

    中央区多聞通(JR神戸駅、高速神戸駅、地下鉄大倉山駅から徒歩3〜5分)9:00〜16:00 入館料/大人300円、大・高生200円、小人(中学生以下)100円 無休 電話番号(078)371-0001

    • 写真

      軍艦三笠の後檣断片

      日露戦争の際、2度にわたって同じ場所に敵弾を受けたが、連合艦隊の旗艦として任務を全うした天佑(てんゆう)を喜び、東郷平八郎がこの断片を奉納した(明治38年7月)。裏に東郷の念書がある
    • 写真

      法華経(ほけきょう)奥書

      重要文化財。建武の中興(1335年)の成立を祝し、楠木正成が法華経を書写して奉納するとしるした奥書。現存の直筆楷書(かいしょ)としては唯一のもの
    • 写真

      楠木正成湊川合戦之図

      玉蘭斎貞秀筆
    • 写真楠木正成「日本名家肖像事典(第4巻)」(ゆまに書房)より
    • 写真

      段威腹巻(だんおどしのはらまき)

      重要文化財。正成着用の武具として伝えられ、明治24年、竜野藩主脇坂家から奉納された

    神戸華僑歴史博物館

    中央区海岸通3、神戸中華総商ビル2階(阪神元町駅から南へ徒歩10分)9:00〜16:30 入館料/大人200円、学生150円、65歳以上・身体障害者・小学生以下無料 日曜日、祝日、年末年始休館 電話番号(078)331-1277

    • 写真展示室
    • 写真

      隠元禅師(いんげんぜんじ)書掛軸

      隠元禅師は江戸時代初めに中国から渡来、新しい禅宗の一派・黄檗(おうばく)宗を伝えた。黄檗宗の大きな特色は、信仰だけにとどまらず、芸術から出版印刷、料理に至るまで、当時の中国の最新の文化をそのまま日本へ移植したところにあった。黄檗宗は神戸の関帝廟ともゆかりが深い
    • 写真

      隠元禅師像 渡辺秀石筆

    有名選手のスポーツシューズがずらり
    (株)アシックス本社ビル

     世界的な有名選手が使用したスポーツシューズが、(株)アシックス(中央区港島中町7)玄関ホールに展示されている。ただし、これはあくまで来客用で、一般には非公開。

    • 写真アベベ・ビキラ選手(エチオピア、ローマ&東京オリンピック男子マラソン金メダリスト)の足型作成
    • 写真リロイ・バレル選手(アメリカ、バルセロナオリンピック男子400Mリレー金メダリスト)使用シューズ
    • 写真君原健二選手(日本、メキシコオリンピック男子マラソン銀メダリスト)使用シューズ。空冷のための小さい穴がたくさんある

    孫中山記念館

    垂水区東舞子町(JR舞子駅、山陽舞子公園駅から徒歩5〜7分)10:00〜17:00 入館料/大人300円、学生(6歳以上)200円 月曜日(祝日を除く)、年末年始休館 電話番号(078)783-7172 ※来年2月初めから近くの仮設建物に移る予定

    • 写真展示室
    • 写真

      写真

      孫文の揮毫(きごう)

      中国革命の父といわれる孫文(号は中山)は「博愛」「天下為公」を好んで書いた。大正13年(1924)に神戸で行った「大アジア主義」の講演を記念した揮毫「天下為公」の文字を彫った石碑も庭にある
    • 写真中国から輸入した老酒の(つぼ)大正6年ごろ。呉錦堂が開拓した現在の西区神出町で、収穫祝いのとき中国人の作業員にふるまったといわれている
    • 写真孫文「孫文先生と日本関係画史」(中華民国国父孫文先生百年誕辰記念会)より
    ページトップへ