252号表紙

No.252(平成5年10月)

特集:

神戸おもしろコレクション(上)

神戸おもしろコレクション(上)

秋の一日、好きなコレクション
選びに出かけてみませんか

 神戸というまちは、ハイカラ、グルメ、ファッショナブル、住みたいまちなどと、いっぱいプラスの形容詞がついていることも多いが、文化不毛のまちなどと悪口をいう人もなくはない。
 しかし、文化の層の厚さはなかなかのものである。市内に美術館・博物館・各種資料館をあわせて50館あまりも存在しているという数字をあげれば、みなさんにご了解いただけるだろうか。
 数をあげるだけでは層の厚さを語れないかもしれない。とにかく内容が多彩なのである。
 明治以来、近代都市の町中で使用されていた生活用具を集めた館、農具を集めた館、服飾の資料館など、私たちの祖先のくらしをふり返る、なつかしい館もあれば、各社の製品・歴史・道具などを展示する企業博物館もある。寺社の宝物館、財を成した主が収集した天下の名品を公開する館、100点・200点、いやいや500点・1000点と趣味で集めた品々を公開する館など、設立の趣旨や目的はさまざまだけれど、個人や企業、財団法人などの努力で運営されている。
 こうした館は、決して規模は大きくはないけれども、市内にはさいわい市立博物館や県立近代美術館があり、海外からの展覧会も受け入れているので、私たちは大小さまざまな展示を楽しむことができる。
 秋の一日、わたしの好きなコレクション選びに出かけてみてはいかがでしょうか。

神戸市立博物館学芸課長 喜谷 美宣

「買ひ物双六」
川端龍子画・大正3年。百貨店の誕生に伴って登場した(コープこうべ生活文化センター資料室) 4ページ参照

神戸深江
生活文化史料館

東灘区深江本町3丁目(阪神電鉄深江駅すぐ) 毎週土・日曜日開館(予約をすれば平日も可)10:00〜17:00 無料 電話(078)453-4980 電話連絡は開館日に

  • 写真

    民具展示室

    写真

    初期の顕微鏡(左)、上皿天秤(てんびん)(右)

    ともに医家用として使用されていだもので、顕微鏡は調整ネジもない。ドイツ製、明治初期。薬をはかる天秤は江戸時代〜明治初年
  • 写真

    モンドリカゴ

    魚は前しか進めないという習性を利用した漁具。底に開いている穴からカゴの中に魚が入ると、返しが中についていて、後へ下がることができずに生け捕りにされた。この道具は、深江の浜で昭和30年ごろまでアナゴをとる時に使った
  • 写真

    ラジオ

    昭和初期
  • 写真

    灯火管制用覆い(左)、防衛食(右)

    覆いは戦時中の空襲警報の際に使用。陶器の防術食は、ゴムで真空パックにし缶詰の代用として使った
  • 写真

    大正期のカメラ

    昭和初期に輸入しだコダックの蛇腹式写真機

コープこうべ
生活文化センター資料室

東灘区田中町5(JR住吉駅から国道東へ徒歩約7分) 9:00〜17:00日曜日休館 無料 電話(078)856-1831

絵双六(えすごろく)
 庶民の生活の中に根をおろした双六は、わが国の「生活文化」の鏡ともいえる。その移り変わりを双六は視覚的に楽しく教えてくれる。
 例えば、江戸時代から大正時代まで続いた「女双六」は、女の人生はいかにあるべきかを説き、その中身は一貫して、忍従一筋に生き、玉の輿(こし)に乗って上がりの女の一生である。大正時代に入ると、百貨店でのお買い物双六も登場、また児童文化が開花し、少年少女雑誌の付録として子供たちの生活に密着した夢のある双六が多くなる。そして昭和7年以後、双六は戦時色一色になり、やがて雑誌とともに双六も姿を消した。戦後になると内容は一変、テレビの普及とともにテレビタレントが主題となるようになった。
  • 写真

    「女禮式教育壽語録(すごろく)」

    揚州周延画・明治21年
  • 写真

    須磨百首かるた

    須磨にちなんだ古今の和歌百首を選び、娯楽の中で須磨の良さを知ってもらうだめ作られた。大正14年
  • 写真

    酒器

    太鼓型酒器(江戸末期)、赤塗り竹酒器(明治時代)、動物の酒とくり、かもとくり(明治時代)、升型盃一式(一番小さいのはサイコロ)

有野町郷土資料室

北区藤原台、北神中央ビル6階(神戸電鉄岡場駅すぐ) 9:00〜17:00(第1日曜日は10:00〜15:00) 第1日曜日以外の土・日曜日・祝日は休み隣室の有野更生農業協同組合に声をかけるとカギを開けてくれる 無料 電話(078)981-5088

六甲開祖之碑
 六甲山の開祖といわれる英国人A・H・グルームの功績をたたえ、明治45年に現在の六甲山上記念碑台に建てられた碑。この碑は昭和17年に壊され、現在は、「碑を建てることば」が記された六甲山記念碑が同じ場所に建っている。
 外国人居留地で製茶業を営んでいたグルームは、六甲山上からの景観に魅せられ、明治28年に山上に別荘を建設。彼のすすめで間もなく50軒ほどの外国人村ができ、明治34年には日本最初のゴルフ場がグルームらによって開設された。また、登山路の改修、植林、砂防等にも自ら努めた。
  • 写真

    挙銃(けんじゅう)携帯許可証

    有馬警察分署から大正4年に有野村の新井真八郎に発行されだもの。新井家は当時手広く米穀商と水車営業を営み、灘の得意先を六甲越えで往復していた関係で護身用に携帯が許されたが、昭和4年の神戸電鉄開通後に返納した。なお、所持中に一度も使用することはなかったそうだ
  • 写真

    六甲開祖之碑除幕式

    碑の前で式辞を読んでいるのは河原市太郎有野村長。当時は六甲山の大部分が有野村だった。明治45年
  • 写真除幕式式辞

最明寺「土鈴(どれい)コレクション

西区神出町東(市バス老ノロ下車、東へ徒歩10分) 開館時間随時 無休 無料 電話(078)965−0067

  • 写真

    土鈴コレクション

    戦前に25人の土鈴好きが毎年お互いの作ったものを持ち寄って交換会を行っていた。それを最明寺の住職が、遺族から譲り受けた。ケースにびっしりと並べられた約2000個の土鈴は珍品ぞろい。土を求めて全国各地を歩きまわり、世界中にたった一つの土鈴づくりにかけたこだわりが、手にとると伝わってくる
  • 写真

    土鈴愛好者の交流

    全国の土鈴好きの人たちが近況を知らせ合うはがき類が、同寺には多数保存されている。絵入りのものが多い
  • 写真

    手作りの土鈴

    土鈴は元来、玩具(がんぐ)や原始楽器としてつくられだようだが、素朴で、土独特のぬくもりが伝わってくる

市立農村民具農具館

北区山田町原野(市バス大滝口下車、北へ徒歩5分) 10:00〜16:00 火曜日、年末年始休館 無料 電話(078)251-6900(神戸市緑農開発公社)

刺し子
 布地を重ね合わせてこまかく刺し縫いにした夜服。布地を部分的にかがったり、つくろったりして補修することからはじまったが、やがて破損のはげしい肩・胸などの部分をはじめから装飾的に補修しておくようになった。布地と反対色の刺し糸で斜め方向、襷(たすき)方向に刺すことが多い。柔・剣道着などに用いられているが、一般ではほとんど見られなくなった。
  • 写真

    揚水用水車

    足で踏んで川から水をくみ上げ、田に流していた
  • 写真

    唐箕(とうみ)

    もみ、麦、大豆などとくず、あるいは米ともみがらを選別する農具
  • 写真

    幟(のぼり)

    現在のような魚のコイのぼりが登場する前は、細長い布のはしにさおを通して、こんな家紋付きの幟を農村の家々で立てていた。子供の元気な成長を願い絵はカラフルで勇ましい
  • 写真

    刺し子の着物

    屋内での夜なべの仕事着として農村で広く用いられていた。刺し糸のこまかい幾何学模様が美しい

塩原学園服飾資料館

中央区上筒井通4(市バス上筒井4下車、北へ徒歩5分) 10:00〜15:30 学校事務室へ希望するとカギを開けてくれる 日曜日・祝日・学校記念日休館 入館料200円(資料付)電話(078)241-8010

  • 写真

    浦島太郎と乙姫様の物語模様万祝(まいわい)

    万祝は千葉県の房総地方で作られていだ大漁半てんで、年の終わりにその一年の漁がある額以上に達すると、船主がそれを祝つて漁師たちに反物を染めて与えた
  • 写真

    大名用着物

    ビロード地金刺しゅう。江戸時代(小浜藩より寄贈)
  • 写真

    千歳(せんざい)緑色塩瀬羽二重鳳凰(ほうおう)に松に雅楽(ががく)の染模様小袖(こそで)

    江戸時代後期(彦根市名家旧蔵)。上半身、背中央に鳳凰と松、下半身に鰻幕(まんまく)、桐や菊、笛、太鼓など異質の模様が調和よくおかれ、安定した確かな構成となっている
  • 写真

    貝合わせ

    平安時代の遊戯の一つで、左右二組に分かれ、貝を出し合って、その美しさや珍しさなどで優劣を竸った
  • 写真

    ひじ付き椅子(いす)(明治時代)。

    デザインに鶴、松、獅子(しし)など東洋的・日本的なものと、ヨーロッパで用いられた渦状の"ねじれ"が見られる。製作地は不明だが、椅子という新しい家具を和洋折衷でつくった事例である。アーサ・トムセン氏寄贈

市立博物館

中央区京町(JR三ノ宮・元町駅から徒歩約10分) 10:00〜17:00 月曜日、祝日の翌日、年末年始休館 入館料/一般200円、大・高生150円、中・小生100円(ただし特別展は別途) 電話(078)391-0035

異人館旧トムセン住宅
 この住宅は明治33年(1900)、ドイツ人アンドレアス・トムセンが子息の邸宅として現中央区諏訪山町5丁目に建築した。木造2階建てで1階115.8u、2階138.3u。設計者はイギリス人ミッチェル。現在、市立博物館に展示されている異人館は、現当主アーサ・トムセン氏から寄贈された建具と、建築当時の写真や解体時の調査にもとづき、旧トムセン住宅を再現したもの。
 居間や寝室など家族のための場所が2階に集まり、1階が来客用および使用人用で、家族のプライバシーが重視されている点に特色がある。ひじ付き倚子(11ページ掲載)は旧トムセン住宅で使用されていたものである。
  • 写真

    欧風の倚子

    明治18年、福原町の天池徳兵術製作。日本で最も古い洋風のイスの一つといわれ、当時の洋家具製造の技術の高さを知ることができる。神戸の洋家具産業は、居留地に住む外国人の使用しだ外国製洋家具の修理や模作を通じて、技術を向上させていった
  • 写真

    洋食独(ひとり)案内

    明治19年。文明開花で人々の目が外国に向きはじめだのにつれ、西洋の入門書が次々と出版されるようになった。この本もその一つ。スプーンやフォークの呼び方、使い方から食事法、料理法まで、洋食とはどんなものかを絵入りで紹介している
  • 写真

    旧トムセン住宅の居間

    写真

    洋食独(ひとり)案内

和時計
 和時計とは、江戸時代に作られた日本独特の機械時計のことである。日本では、古代から水時計、火時計、香時計など原始的な時計によって人々は時刻を知っていたが、16世紀になるとヨーロッパから機械時計が入ってきた。そして江戸時代に、これらヨーロッパの時計を基に工夫をこらし、日本独特の時計をつくりあげた。日本ではヨーロッパと違い「不定時法」を採用していたため、そのままでは使用できなかったからである。
  • 写真

    掛時計

    おもりが動力となって歯車を動かし時を刻む。柱などに掛けて使用するのでこの名がある

    写真

    西洋手品種本(左)

    明治15年。日本の伝統的な手品しか知らなかった人々にとって、西洋マジックの種本はさぞ興味をそそられたことだろう

    西洋野菜そだて草(右)

    明治12年。日本でも栽培できそうな野菜を選んで種をまく時期、肥料のやり方などを説明している
  • 写真

    尺時計

    これは日本独特の時計といわれ、和時計のなかで最も普及していた。カギを巻いておもりを最上部から下へ落とし、時間を示すようになっている
  • 写真

    切子魚子文脚付ガラス杯

    江戸後期〜明治前期。ガラスの器面を切りこんで美しい装飾を加えたカットグラス。16世紀にヨーロッパから伝わったガラス器は、江戸時代にはビードロとかギヤマンとか呼ばれ、日本でも生産されるようになった

白川小学校郷土資料室

須磨区白川台7(市バス白川台下車、徒歩7分) 教育関係者向けに開放(要事前予約) 電話(078)792-2619

白川の里と楊梅(やまもも)
 現在では一部の山を切り開き、広大な白川台団地が整備され高層住宅が林立しているが、古い白川村は四面山に囲まれた山村であった。この里には、かつては自生の楊梅の木が多く、ことに「献上の楊梅」として古くから知られていた。「延喜式」によると、この地の名物として宮中をはじめ、後には江戸幕府にも珍重され、献上は明治維新まで続けられていたという。
 『新勅撰集』の「玉はこの道行く人にことづてて、楊梅おくれ白河の人」(藤原定家)の歌は、このことをよく伝えている。
  • 写真

    教室を利用した郷土資料室の入り口

    写真内部の展示風景
  • 写真

    ももかご

    木からちぎったやまももを入れるかご。明治時代
  • 写真

    ももかご

    やまももをきれいに並べて町まで運ぶときに使ったかご
  • 写真

    珪化石(けいかせき)

    木の幹の化石。幹の組織が分解し、そのあとに珪酸が沈でんして出来たので白くなっている
  • 写真

    木の葉の化石

    白川付近では非常に良好な植物の葉の化石が多く採取されだので、昔から「白川の化石」として市民になじみが深い。大昔にこの付近にあった湖が火山噴火によって埋まっだ時、植物の葉や幹が埋伏して化石になったといわれている
  • 写真

    読書入門

    国語の教科書。明治19年
  • 写真

    いろりと自在かぎ

    昔はこんないろりのある部屋で、自在かぎにつるした鍋を囲んで食事をしだり、だんらんをしていた。自在かぎは、上下左右、自在に動くからこの名がついた
  • 写真

    むしろ編み機

    むしろをつくる農具

神戸市埋蔵文化財センター

西区糀台6、西神中央公園内(市営地下鉄西神中央駅から徒歩5分) 10:00〜17:00毎運月曜日、年末年始休館 無料 電話(078)992-0656

  • 写真

    器のいろいろ

    米づくりの始まりは、土器の使い方や形にも影響を与えた。煮炊き用の甕(かめ)と食物を盛る高坏(たかつき)・鉢のほか、米などを貯蔵する壺(つぼ)などの弥生土器がつくられた
  • 写真常設展示室
  • 写真

    都に運ばれた神出の瓦(かわら)

    神出(西区神出町)の窯(かま)でつくられた焼き物は、遠く九州まで運ばれ広く人々に使われた。特に瓦は京の都に運ばれ、寺院や建物の屋根に葺かれ軒を飾った。平安時代後期から鎌倉時代にかけ、神出の雌岡(めっこ)山周辺は全国有数の焼き物の生産地だった

長福寺考古資料館

西区押部谷町養田(市バス養田下車、南へ徒歩5分) 開館時間随時 無休 無料 電話(078)994-0150

  • 写真

    写真

    フタ付きの食器

    須恵器、年代不詳。一度に大量に出土しだものも含め、約50個がずらりと展示されている
  • 写真

    須恵器「提瓶(ていへい)」

    取っ手が3か所にあり、木のツルなどで提げられるようになっているのが珍しい。古墳時代
  • 写真

    はそう

    楽器として用いられだらしく、穴から息を吹くと音が出る。日本で最も古い登り窯で焼いたと伝えられている

吉田郷土館 歴史資料展示室

西区枝吉4(神姫バス吉田下車、徒歩5分) 10:00〜16:00 毎週月曜日、第2・4日曜日休館 無料 電話(078)927-7815

近畿地方最古の稲作集落
 明石川流域の明石平野は、近畿地方でもっとも早く稲作農耕文化が根付いた所である。この地に稲作が始まったのは、今から2000年以上前の弥生時代。最初に誕生した農村は、同平野の西の境に位置する西区玉津町の吉田、片山で、この二つの集落を中心に新方(しんぽう)、池上(いけがみ)口ノ池など、次々と大規模な集落が生まれ、その後の繁栄の基礎をつくった。吉田付近の遺跡から多数の土器類などが発掘されたのは当然といえる。
 また、付近の丘陵上には古墳時代中期の王塚古墳(前方後円墳)や、戦国時代の枝吉城跡も残っている。
  • 写真

    奈良時代の土器

    新方遺跡(玉津町新方)
  • 写真

    弥生時代後期の土器

    養田遺跡(押部谷町養田)
  • 写真

    イイダコつぼ

    古墳時代後期、吉田・片山遺跡(玉津町枝吉)

市立博物館

銅鐸の絵にみる弥生人の生活
国宝・桜ヶ丘5号銅鐸から

  • 写真

    T字型の道具を持つ男性が魚とりをしているところらしいが、獲物がたくさんとれてうれしそうな様子が体全体に出ている

    写真弓を持ってシカをつかまえている男性。農耕社会になっても狩りが盛んに行われていだことを示している
  • 写真

    国宝・桜ヶ丘5号銅鑼

    弥生時代、灘区桜ヶ丘出土。5号銅鐸は表面に動物の絵や狩り、農耕の様子などを描いだ文様があり、当時の生活をさぐる貴重な資料。銅鐸は祭りのときに鳴らしたと思われるかねで、外からたたくのではなく、風鈴と同じように内側に舌がつけられている
  • 写真

    タテぎねで脱殺をしている絵。この絵ではきねをついている人の頭は三角、狩りや魚とりをしているのが丸に描かれており、三角は女性、丸は男性と推測される。それゆえ当時の分業の様子がわかる

    写真頭の部分の描き方から見て、男性が右側の女性をおこっているのを左の女性がおさえている絵のようである
ページトップへ