242号表紙

No.242(平成4年12月)

特集:

神戸の民俗芸能(上)

神戸の民俗芸能(上)

生き物としての民俗芸能

県立鈴蘭台西高等学校教諭
永田 實

永田 實(ながた みつる)氏紹介
 1946年生まれ。1969年、神戸大学教育学部卒業。1972年、大阪教育大学大学院修士課程修了(地理学専攻)。神戸市民俗芸能調査団で調査活動に取り組んだり、神戸市内の小売市場・山田川流域の農業水利の現状などに興味を持つ。現在、兵庫県立鈴蘭台西高等学校教諭(社会科)。

(左)
踊り絵馬(西区押部谷町、近江寺蔵)
絵馬の大きさは縦91.5cm、横121.5cmで、「寛文五天乙巳七月吉日」と約320年前の奉納時が記されている。図柄は踊り風景で、どこかの屋敷内の庭(広場)で男たちが中央に酒樽を置いて踊っている。描かれている人物は計28名、何かの祝い事なのだろう
写真説明中の祭の日付は、市民のグラフ「こうべ」が平成3年から4年にかけて取材したときのもので、年によって変わることかあります。

有馬温泉「入初(いりぞめ)式」(1月2日、北区有馬町)
300年以来有馬に伝わる古式で、温泉中興の恩人である行基菩薩と仁西上人の木像を御輿に乗せて温泉寺から本温泉に迎え、新しい湯をくみ、像に注いで入り初めをする。本温泉内の式場では、湯女(ゆな)姿の芸妓が太鼓のはやしで湯もみ行事を行う

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慶明寺「花祭」(4月7日、西区平野町)
本堂でご詠歌が唱えられた後、山門前に用意された台車付の白象を子供たちがロープで引っ張る。のどかな田園風景のなかを20分ほど練って寺へと戻る。寺の近辺を練るようになってから10年以上たち、子供を主体とした祭りとして定着している。

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天満神社「播州音頭」(7月25日、北区淡河町)
淡河八幡神社と同様、播州音頭保存会による音頭・太鼓で、そろいの浴衣を着た地区の婦人会のメンバーによって、手踊り、扇子踊り、手拭い踊りが踊られる。盆踊りは、田を渡ってくる涼風のなか、夜10時まで行われた

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岩岡神社「秋祭り」(10月10日、西区岩岡町)
午前中に八基のふとんだんじりが宮入り。午後には獅子舞の奉納、神輿の渡御が行われる。鳥居から拝殿への長い参道には屋台も多く、遠方の人も里帰りして、神社の境内は老若男女でうずまり終日にぎわう

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一、身近に生態を観察できるもの

練(ねり)
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    伊川谷惣社「秋祭り」(10月8・9日、西区伊川谷町)

    九日の本宮は、だんじりの宮入り、土俵での獅子舞・相撲、お旅所への神幸式と盛りだくさんの行事が続く。急速に田園風景が央われている地域だが、祭りが多くの人のエネルギーを結集している。神戸市西部のだんじりはかきだんじり(布団太鼓ともいう)で、勇壮な光景である
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    本住吉神社「だんじり曳(ひ)き回(まわ)し」(5月4日・5日、東灘区住吉宮町)

    本住吉神社には7台ものだんじりがあり、神社での宮入り以外に地区での町曳(まちび)きが10年ほど前から復活しだ。4トンを超すものもあり操作には力がいり、息も合わせねばならない。だんじりの中では鉦(かね)・太鼓が激しく叩かれ、屋根の上で若者が踊る
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    岩岡神社「秋祭り」(10月10日、西区岩岡町)

    八基の太鼓(ふとんだんじり)が午前中に宮入りを行い、神輿渡御の際は、「お道具持ち」が諸道具を奉持した行列の後から鳥居先まで行く。ふとんだんじりは重く、力をあわせてかつぐかきだんじりである
だんじりを支える人たち
 「全身全霊を傾けて望まなければ、決して動かない。人々が、一体にならなければ決して動かない。だから普段の抑えていたものを解き放ち、無心の境地でだんじりに向かう。年に1度だけやってくる、その非日常的な1日がたまらない」と、村岡眞一さん(東灘区本山中町)はだんじりの魅力について語る。もともとだんじりを持つ地区が多く集まる地域に生まれ育った村上さんは、だんじり好きが集まる「兵庫地車(だんじり)研究会」の会員の一人。特に、高度な技能が結集されただんじり彫刻に魅せられ、大阪で教鞭をとるかたわら、暇があれば方々のだんじりを見て回っているそうだ。最近は、だんじりの復活に取り組んでいる東灘区青木地区の青年会から彫刻の下絵を頼まれ、精力的に取り組んでいるそうで、「貴重な体験なので、モチーフひとつひとつ研究し、その特性を引き出し、どこにもない立派なものをつくりたい」と張り切っている。
 一方、この地区にはもう一人だんじりを支えている職人がいる。木彫師の井岡勘治さん(東灘区田中町)。毎年3月から10月にかけては、だんじりの素材となるけやきの板にノミとカンナを振る毎日が続くという。だんじりの彫刻は、立体感を出すため別々に彫ったものをはめ込んでいく。くぎを使うとさびてくるので、すべて木で組み合わせるそうだ。この道42年になる井岡さんは、請けた仕事は納得のいくまで丁寧にしたいので、数年前から看板もおろし、信用のある仕事をこつこつと続けている。

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    東灘区青木地区のだんじり。完成までにはまだ数年はかかる

    写真だんじりの屋根の上につけられる鬼板の彫刻(井岡さん作)
  • 写真村上さんの下絵をもとに仕上げられた井岡さんの彫刻。珍しい蛸(たこ)のモチーフに村上さんのこだわりが感じられる(東灘区田中地区のだんじりの猫木部分)
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仮装
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    河内国魂神社「猿田彦」(5月3日、灘区国玉通)

    小学生の祝い歌のあと、正午から渡御が行われる。はじめに猿田彦が登場、腰をかがめだり前後に足を大きく開いて鉾(ほこ)を前方に突き出す舞のような所作を繰り返す。猿田彦は年番地区の青年が選ばれ、神と同格とされて、面をつけている時は終始無言の大役である

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    伊川谷惣社「秋祭り」(10月8日・9日、西区伊川谷町)

    太鼓の宮入りの後、境内中央にしつらえた土俵で獅子舞が奉納される。御幣持ち、大太鼓・小太鼓・横笛の伴奏者に、お多福(たやん)・天狗(はなたか)などが獅子と一緒に舞う
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    南僧尾(みなみそお)「獅子舞」(9月12・13日、北区淡河町)

    南僧尾神楽獅子保存会により松尾神社の境内で清め・荒神祓(こうじんばらい)のほか剣の舞・猿獅子・五尺踊り・牡丹獅子・華の舞・寝獅子の獅子舞が舞われる。写真は猿獅子で、数え15歳になった少年の「若い衆入り」(元服)の儀式も行われる
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    妙法寺「鬼追式」(1月3日 須磨区妙法寺)

    木彫りの面をかぶった鬼が次々と本堂の回廊に登場、太鼓の音に合わせて、勇壮に松明(たいまつ)を振りかざすと火の粉が勢いよく舞う。鬼は夫婦の鬼が、おばあちゃん鬼と子鬼・家来鬼を連れて伊勢へ旅しているところを表しているという
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    長田神社「追儺(ついな)式」で使う七匹の鬼の面(長田神社蔵)

    上段右から呆助(ほおすけ)鬼、尻くじり鬼、餅割(もちわり)鬼、赤鬼。下段右から姥(うば)鬼、一番太郎鬼、青鬼

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    性海寺「追儺式(ついな)式」(1月15日、西区押部谷町)

    太鼓の合図で赤鬼・青鬼・子鬼・チョキ鬼が次々と出て来て堂を3巡、その後古式に従って鬼追いの所作を繰り返し、もちまきが行われる。鬼役は鬼をつとめると1年間の無病息災が得られるということで、希望者の申し出によって寺が決めることになっている
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    近江寺「鬼追い」(2月11日、西区押部谷町)

    修正会(しゅうじょうえ)(仏教儀式)の読経が終わると松明を手にした鬼の踊りがはじまる。はじめ赤鬼の先導で子鬼が堂を巡り、そのあと走り鬼(茶と赤の2匹)、次いで親鬼(赤・青の2匹)が交互に踊り、間に長いハゼの棒を持っだ子鬼が踊る。終わり頃には欄間(らんかん)にかけた鏡餅を斧を振りあげて切り、最後にハナ(桜の造花)を振りながら踊る

    写真転法輪寺「鬼追い」
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    多井畑厄除八幡宮「餅つき」(1月16日、須磨区多井畑)

    朝8時半頃より餅つき殿のある広場で始められる。長さ1間余りの竪杵(きね)を持ち、臼(うす)の東西に4人ずつ向かいあい掛け声にあわせてつく。1度に3升を昼頃までかかって20数回つき、翌日の御供積みに備える。17日夜には御供を作り、餅を切る作業を行う。切った餅は厄除祭で参拝者に配る
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    八幡神社「湯立(ゆた)て」(1月19日 西区伊川谷町)

    境内に青竹を立てて注連縄(しめなわ)を張り、釜を並べて湯をたき、巫女(みこ)さんが両手に笹を持って厄除けの露払いをする。当日は、須磨太鼓、シュウシ、弓引き、餅まき、浦安の舞も行われ、仮設テント内には手作り品、野菜の即売コーナー等が設けられ、地元の人の熱意、創意で楽しい祭りとなっている
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    綱敷天満神社「湯立て神楽(かぐら)」(5月25日、東灘区御影町)

    本祭りの午後、菅原道真が大宰府へ流される途中、船をつないだというお旅所の松のすぐそばで、湯立て神楽が奉納される。太鼓・笛などにあわせ巫女(みこ)の持つ笹束で、お湯がたっぷり打ち撤(ま)かれた。この地区も近年だんじりの町曳きが復活している
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    浄蓮寺「数珠繰(じゅずく)り」(3月18日、北区山田町)

    衝原(つくはら)ダムによる移転でできだ集落で、大師講の行事として行われる。数珠繰りは珍しい習俗ではなかったが、地域社会の変ぼうとともに徐々に姿を消しつつある。読経のあと、直径3メートルほどの大きな数珠を右回りに繰り、輪の中には鉦叩(かねたた)きが入って調子をとる
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    天満神社「子供相撲」(7月25日、北区淡河町)

    夏祭りの神事のあと、夕方から子供相撲が、夜に入ってからは盆踊りが行われる。子供相撲は市内各地にあるが、近年は児童数減少の影響を受けつつある。しかし、ここでは25ほどの取組みがにぎやかに行われた
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    湊川神社「面掛式(めんかけしき)」(1月7日、中央区多聞通)

    拝殿で神にぎわいのーつとして神戸観世会有志により奉納される。面掛式は、拝殿で太夫を演じる人が「天下泰平国土安穏」を祈り拝礼、翁面をつけ荘重に謡われる中で舞う
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    顕宗仁賢(けんそうにんけん)神社「オオドシ・弓引き」(1月2日、西区押部谷町)

    枝ぶりのよい榊(さかき)2本に縄が添えられだもの(オオドシ)を振る。縄の下は2本に分かれ、それぞれが石を包んで俵を模している。「オオドシ、ハナドシ、ヨイヨイバ」の掛け声にあわせて上下に振る。そのあと猪(いのしし)・鹿(しか)を描いだ的を矢で射る。オオドシはハナフリなどとも呼ばれ、市内西部でよく見られだ豊作を祈るものだが、珍しい行事になってきている
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    淡河八幡神社「御弓神事(おゆみしんじ)」(2月17日、北区淡河町)

    射礼は午前・午後の2回行われる。午後には淡河八幡弓道連盟会員、市立淡河中学校生により、神社の古文書に残る36人的射も行われる
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    淡河八幡神社「御弓神事」(2月17日、北区淡河町)

    祈年祭・的祓(はら)いの後、的の中央に「鬼」と書いて塗りつぶす「鬼封じの儀」があり、射礼となる。射礼は厳格・複雑な作法にのっとり、民俗行事としては古い起源を思わせる

二、意外な所に生き残っているもの

 一では市内各地で見られる、一般的な民俗芸能に触れたが、これとは反対に、意外な所に意外なものが生き残っているという例もある。神戸市内の植物にたとえれば、氷河に覆われなかった六甲山で生きのびたエビゴケにあたるといってよいだろうか。
 その好例が、大歳神社(須磨区車)の翁舞である。老人の姿にやつした神が現れ、土地・人への祝福を述べるというものであるが、全国的にみても貴重な古い姿をとどめており、昭和五十年に兵庫県指定重要無形民俗文化財に指定されている(昭和五十一年には国の選択芸能)。
 成道寺(北区山田町)や正覚寺(北区淡河町)などの太鼓念仏もこの類になろう。かつては近隣各地で見られた行事であるが、いまやごく限られた地区だけで残っている。
 また、稲作儀礼のなかで重視された田植祭りであるが、現在では北区の歳田神社で神事として行われている程度である。文献では六條八幡神社(北区山田町)の田植唄も記録されており、かつては各地で見られたと思われる。
 この六條八幡神社には、流鏑馬(やぶさめ)が伝承されている。射手は、かつて土地の人が乗馬の練習に通い、何とか続けてきたが、近年は外部から乗馬のできる人を頼んでいる。立って行う弓−歩射(ぶしゃ)−は各地に残っているが、騎射は珍しい。
 これらを個別に、その発生から現在までの歴史を明らかにすることはきわめて難しいが、それぞれの民俗芸能の歴史のなかで、これら神戸市のものの占める位置を、少しでも解明していく努力が必要であろう。

車の翁舞
 車では、翁舞を「御面式」「能面の式」「御面の行事」、あるいは単に「御面」と呼んでいて、厳粛な神事としている。
 以前は村全体の行事であったが、第二次世界大戦後に老人会の手に移り、昭和49年から車翁舞保存会の主催になっている。行事の創始に関する伝承はなく、古来より伝承されてきたというのみである。文久2年 (1862)の台本を残し、他にも数種の台本があり、それに文献・口碑などによると、江戸時代末から昭和20年まで継続していたことが分かる。
 空襲等で2度ほど中断したが、昭和45年に復活、現在に至っている。

  • 写真翁舞が行われる大歳神社の舞殿(まいでん)(昭和6年に再建されたもの)
  • 写真行事の運営基地となる家のことを"ヤド"といい、車地区の家の戸主はヤドを務めなければ隠居できないという。当日ここで事前に舞を一通り行う
  • 写真ヤドを出発して宮入りがはじまる。一行は、松明(又は提灯(ちょうちん))を先頭に神主・ヤド・露払い・翁・三番叟・地謡・笛・鼓の順に一列に並んで進む
  • 写真翁(太夫)。この行事の主役
  • 写真三番叟(さんばそう)。12歳ほどの少年がつとめる
  • 写真露払い。10歳ほどの少年がつとめる
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    北区山田町「馬駈(か)け」(10月10日)

    まず七社神社で神事と馬駈けをし、行列を仕立てて六條八幡神社へ移る。七社神社では境内を出た所、六條八幡神社では馬場先の鳥居のそばに的を立て、馬上から矢を射っだのち参道を走らせる。弓を射る民俗には歩射(ぶしゃ)と騎射(きしゃ)があり、歩射は「お弓」や「マト」と呼ばれ市内各地に残つているが、騎射はよそにはなく、珍しいものと言えよう
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    成道寺「太鼓念仏」(8月16日、北区山田町)

    仏壇を前にして2人ずつ向かいあった4人は太鼓を手に、その周囲でコの字型に並んだ人だちは鉦をたたく。「南無阿弥陀仏」と唱えながら、太鼓は腰をかがめたり立ったりの動作を行う。遠く鎌倉時代、時宗の開祖・一遍が普及させた踊り念仏につらなると考えられる民俗が、いまも息づいている
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    歳田(さいだ)神社「御田祭(おんだまつり)」(5月3日、北区淡河町)

    拝殿前での湯立てのあと、境内南西の模擬田で早苗さしの行事が行われる。中央の砂山をくずし塩で清めたのち、紅白のシデをつけだ榊の小枝を早苗にみたてて子供だちが植えていく。榊の小枝は参詣した土地の人によって持ち帰られ、以前は田の水口にさしたという。豊作を祈願する予祝行事である
  • 写真三番叟の舞が済んだ後、翁を舞った翁(太夫)が面をつけかえ、父尉(ちちのじょう)となり再び舞う

無動寺「オコナイ」(2月5日、北区山田町)

椎(しい)の木の枝を2本ずつ持っだ土地の人が本殿に並ぶ。修正会(しゅうじょうえ)の間、人々は手にした椎の枝を、足場板を敷いた床に力いっぱいだだきつける。そして割れた枝の先に護符をはさんで持ち帰り、1本は苗代の水口に立て五穀豊じょうを、1本は玄関に立て無病息災を祈る

三、絶えてしまったもの

一・二で現存する民俗芸能を取りあげたが、近年行われなくなったものもある。たとえば西区を中心に分布していたハナフリは、現在やられなくなっている。ハナフリの系統をひく無動寺(北区山田町)のオコナイが残っているのが珍しい。湯泉神社(北区有馬町)の子供神輿・獅子舞・相撲や、比較的新しいものだが、筒井八幡神社(中央区)の筒井舞などもなくなってしまった。
 自然環境の変化とともに滅んでしまった生き物も数多いことであろう。民俗芸能が生き物だとすれば、それも仕方がないとあきらめざるを得ないのかも知れないが、古人の営みを考えれば何とか伝承していきたいものである。それが無理なら。しっかりした記録を残しておきたいものである。
内容について、詳しくお知りになりたい方へ
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 神戸市では、市内の民俗芸能の分布や性格、歴史的移り変わりなどを明らかにするため、昭和47年度から行政区を単位に実地調査を行いました。その調査報告編がシリーズとして刊行されています。内容をさらに詳しく知りたいと思われる方は、一度ご覧下さい。さんちかインフォメーションこうべ・神戸市立博物館・教育委員会文化財課(市役所3号館7階)で販売しています。

「神戸の民俗芸能」シリーズ
神戸の民俗芸能(東灘編)1,000円
神戸の民俗芸能(灘・葺合・生田編) 900円
神戸の民俗芸能(兵庫・北編)1,200円
神戸の民俗芸能(須磨・長田編) 1,000円
神戸の民俗芸能(垂水編)1,200円
車の翁舞と雨乞拍子踊編 600円
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長田神社「追儺(ついな)式」(2月3日・節分、長田区長田町)
一般に鬼は不幸をもたらすものとされ、追い払って一年の幸福を願う行事が「追儺」であるが、長田神社の追儺式の鬼は、神々の使いであり、7匹の鬼が神に代わって災いを追い払い、良い年となることを祈って踊る。古い形態を伝える貴重な神事として昭和45年3月兵庫県重要無形民俗文化財に指定された
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