222号表紙

No.222(平成3年4月)

特集:

北神を歩く

北神を歩く

(左)
ビニールハウスで咲き誇るチューリップ(淡河町淡河)。4月中ごろまでは温室など施設栽培、夏場は露地栽培が多い

淡河(おうご)

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  • 写真淡河の古い家並みと道標。村上本陣(大名宿)跡前の街道筋から南へ折れる道角にこの道標がある。「東有馬大坂 南山田兵庫」<
  • 写真村上本陣跡の古びた土塀。中の家は今は壊れかけ、だれも住んでいない。豊臣秀吉が本陣が完成した時に自ら庭に植えたといい伝えられていた「太閤手植えの松」も、今は残っていない
  • 写真北僧尾農村歌舞伎舞台。昭和57年3月に20数年ぶりに農村歌舞伎がこの舞台で復活したが、その後は開かれていない。舞台には安永6年(1777)の墨書があり、日本最古といわれている
  • 写真石峯寺境内の石仏。巨大な礫(れき)岩の、ちょうど大人の目の高さの辺りを見事にくりぬき、石仏がまつられていた。生い茂る樹木、コケむした岩、美しい三重の塔とは対照的に気持ちの引き締まる思いがする
  • 写真朱塗りの石峯寺三重の塔。緑の樹木を背景にひときわ美しく、見飽きることがない。この塔と寺の中堂(薬師堂)は重要文化財(炎河町神彰)
  • 写真石峯寺の近辺は古くから植木や苗木の栽培が盛んで、あちこちでこんな風景に出くわす
  • 写真淡河小学校のシンボルである校庭のカイヅカイブキ。近くの畑で会った年輩のおばさんは「私が学校へ通っていたころも、随分大きな木でしたからね」と話していた
  • 写真端正なたたずまいをしたわらぶきの家。軒の部分にもかわらを使っていない完全なわらぶきは、北区でも少なくなっている。庭の木が美しい(淡河町萩原)
淡河の"豊助まんじゅう"

 大正8年(1580)、三木城の別所長治を滅ぼした豊臣秀吉は、淡河の古い街道を播磨―湯乃山(有馬)―京―大坂を結ぶ西国街道の裏街道とし、庄屋の村上喜兵衛に淡河宿をつくらせた。本陣(現在の村上本陣跡)が置かれてからは一躍宿場として栄え、江戸期に入ると参勤交代や湯乃山湯治の大名が泊るようになった。
 古い街道筋には、本陣を中心に三木屋、山田屋、江戸屋といった商家のほか、元禄のころからのしにせを誇ったあめ屋(菓子屋)があり、ここの娘と丹波篠山の豊助が結ばれ、吉村豊助と名乗った。この人は若い時から諸国を歩き、浄瑠璃を語れば花も生ける器用人で、独自の薄皮まんじゅうの秘法をあみ出し明治15年、本陣前に店を出したのが"豊助まんじゅう"の始まりである。
 今の店は国逆428号と三木三田線がクロスした道角にあり、4代目吉村明憲さんが淡河名物の味を受け継いでいる。

屏風川(びょうぶがわ)・鳴川(なるかわ)

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  • 写真鳴川への道の途中で見かけたシイタケの原木。岩手県からはるばる仕入れたものだそうで、この木に穴をあけて植菌作業をし、半年ほどねかせておくとシイタケが生えてくる。近くの農家でこのシイタケ栽培を行っている(八多町西畑)
  • 写真冬に凍結した屏風谷。冬の谷筋は一段と険しい表情になる
  • 写真鳴川への気持ちのよい雑木林の道。道に沿って鳴川から近在の田へ水を引いている
  • 写真鳴川への道と森林浴コースの辻にある地蔵堂
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  • 写真鳴川(右)と屏風川(左)の清流。鳴川谷は、どちらかといえば静流で女性的、屏風谷は男性的で厳しい。ともに岩礁が多く、さまざまな形の岩頭が水面に並ぶが、少し増水すると隠れて渡れなくなる
野瀬ノ大杣(おおそま)池と赤牛

野瀬ノ大杣池

 淡河の野瀬の山あいに広がる野瀬ノ大杣池に、古くからこんな伝説がある。
 この池のおかげで、ふもとの野瀬や神田の農家は豊かだったが、いったん雨が降り続くと、池の土手が切れその度に大きな被害をうけていた。
 村人たちは何度も集まって相談した。
 「一つだけ方法はある。じゃが、そんなむごいことは…」と、村の古老がつぶやいた。切れた土手の底に赤牛を生き埋めにしたら二度と土手はくずれない、という言い伝えがあるというのである。
 しばらくたって、またひどい災害をうけた村人は、ついに赤牛をいけにえにする決心をし、くじで生き埋めにされることになった牛は、きれいに体を洗ってもらい、おいしい食事も与えられた。
 牛は、飼い主や村人にひかれて大杣池へ登り、くずれた個所に打ちこまれたれた太いくいに、しっかりとゆわえつけられた。牛は「モーウ、モーウ」と鳴くだけ。背中まで土に埋まった赤牛は、最後に首を高く上げ、力いっぱい「モーウ」と叫んだ。
 土手は再建され。以後、いくら大雨が降っても、大杣池の土手が切れたことはない。

藍那(あいな)・山田(やまだ)

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    藍那から長坂山への道

    写真神戸電鉄藍那駅を見下ろすように立つ七本卒塔婆。いずれも南北朝時代のものとみられている
  • 写真藍那の里のたたずまい。火の見やぐらと家々の屋根の取り合わせが楽しい
  • 写真長坂山近くの深い杉木立の道。静かすぎるくらいし一んとした道だが、ハイカーが残した踏み跡はしっかりしている(山田町中)
  • 写真長坂山を越えて山田の里へ。丹生・帝釈山系が美しい
  • 写真藍那の八王子神社。かつてはここでも農村歌舞伎が行われでいたのだろう
山田の新兵衛石
 これは江戸時代のはじめのころの話である。丹生山田の里(現在の北区山田町)の領地見回りにやってきた領主の行列に、一人の少年が駆け寄り「お殿さま、お願いでございます」と訴えた。当時、領主への直訴はきびしく禁じられており、犯すと死罪が普通だった。
 「お殿さま、私たちの村は度重なる不作で、年貢を納めることができません。これ以上お取り立てになれば、飢え死にするしかありません。毎夜毎夜、寝ずに苦しんでいるおとうさんたちがかわいそうです。私の科(とが)はどうなってもかまいませんが、どうか、村人の難儀をお救いください」
 少年の涙ながらの訴えに、殿様も深くうたれた。従来のしきたりを破って少年は無罪放免、その願いは聞き入れられ、村の年貢も軽くなったという。
 少年の名は、村上新兵衛。村人は新兵衛の勇気をたたえ、新兵衛が訴え出たところにあった石を記念として、村の一角に残した。これが、今も山田町福地に残る「新兵衛石」である。

  • 写真火の見やぐらのある道。いろんな形をした火の見やぐらも北神の顔の一つ(山田町福地)
  • 写真成道寺の境内にある古い五輪塔
  • 写真無動寺本堂。重要文化財の仏像が5体も安置されている。また、本堂西の高台に永仁5年(1297)建立の若王子神社の本殿がある
  • 写真柏尾谷の清流。リバーパークとして整備されており、夏はキャンプや飯ごう炊さんなどでにぎわう
  • 写真新兵衛石
  • 写真無動寺境内の本堂への道
  • 写真毎年1月19日に行われる六条八幡神社のお弓神事「引目祭」7〜800年前から伝わるといわれている
  • 写真六条八幡神社の鳥居。写真奥の本殿や三重の塔を覆うようにそびえ立つ老杉が見事である
  • 写真六条八幡神社の本殿と、その向こうに三重の塔が見える。三重の塔は文正元年(1466)の建立で重要文化財
  • 写真山田町下谷の天彦根神社境内にある下谷上農村歌舞伎舞台。農村で芝居をしたり人形を舞わすためなどに、特別に神社境内などに設けられた建物。入母屋造りのかやぶきで、間口11.6メートル、奥行8メートル、皿回し式回り舞台、セリ上げ吊舞台、花道、太夫座などが完備しており、天保11年(1840の軒札がある。現在は利用されていない

大沢(おおぞう)・長尾(ながお)

写真
  • 写真大沢町中大沢の農村風景。この辺りは山が多く、かなりの高みまで山の斜面を利用した段々畑になっている
  • 写真わらぶきの家が並ぶ大沢町市原。この辺りは大沢の最も北で、わらぶき屋根が多く見られる
  • 写真大沢町簾の天満神社。中大沢の天満神社よりさらに素朴な感じがする
  • 写真中大沢から美嚢郡吉川町への山越え道のすぐ脇の林の中に立つ坊主岩。高さ1.5メートルくらい、長年の風化によってこんな形になったそうだ
  • 写真中大沢の天満神社標石。後ろに「大正3年」と刻まれていた
  • 写真天満神社の軒下に掲げてある古い寄付者の名前。小さい字には壱円から拾銭、五銭まである
  • 写真天満神社の本殿。木が多く、石のあちこちがコケむしていた
  • 写真段々畑の上の高台に建つ光山寺。最近再建されたここからは大沢はもちろん遠く淡河も望める
神戸リサーチパーク(第1〜3地区)
 神戸リサーチパ一ク(約498ha)は、三つの街が個性を発揮する21世紀の複合機能都市である。団地造成(計画戸数:鹿の子台(第一地区)3400戸、第2地区3300戸)のほか、先端産業や企業の研究開発機能、流通施設などを誘致する。
 その魅力は、まず西日本の道路網の拠点となる立地条件。昨年4月、六甲北有料道路(北区有野町唐櫃〜長尾町上津間13km)が開通、これによって、中国自動車道や神戸リサ一チパーク・藤原台など神戸北地域と市街地が直結して時間が短縮されたほか、将来はさらに、六甲北有料道路が山陽自動車道・阪神高速北神戸線に接続、神戸の北部から瀬戸内沿岸の各都市、明町海峡大橋を通って四国とも結ばれ、神戸北地区は、広域幹線道路網の中心となる。
 第二は、恵まれた自然環境で、周辺には日本最古の名湯有馬温泉のほか、すぐそばには、家族みんなで楽しめるフルーツフラワーパーク、北神戸田園スポーツ公園も計画されている。また名峰「有馬富士」(三田市)は、春は新緑、秋は紅葉、冬は雪景色と季節ごとに美しい表情を見せてくれる。

写真
街びらきを控えた神戸リサーチパーク「鹿の子台」(第一地区)、左端は北神戸中学校、一戸建て住宅もどんどん増えている
  • 写真熊野神社の秋祭り(10月10日)に行われる獅子舞神楽。昔、この地方が大かんばつに見舞われたとき、住民が雨ごい祈願のため、越後の国から獅子舞神楽を呼んで神社に奉納したのがはじまりと伝えられている(長尾町上津)
  • 写真豊歳神社本殿。春日造り、桧皮(ひわだ)ぶきの小さな社殿だが、永正8年(1511)の棟札がある。県指定文化財(大沢町市原)
  • 写真長尾町宅原の一之宮神社。鳥居から社殿まで小さな灯ろうが並ぶ感じのよい神社だが、創立は不明
  • 写真最近、モダンな駅舎に建て替えられた神鉄横山駅。駅の南側(手前)で新線敷設工事が行われている。駅の南約百五十メートル辺りが神戸と三田の市境
  • 写真多聞寺。寺には地蔵菩薩立像など重要文化財の仏像3体がある
  • 写真西脇三田線沿いにある熊野神社の石標
  • 写真長尾町宅原の田の土手で、ツクシがいっせいに背比べをしていた
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