194号表紙

No.194(昭和63年12月)

特集:

神戸の道(下)

神戸の道(下)

神戸の道(下)

写真(上・下) 表六甲ドライブウエーは、昭和4年に新設(土橋〜前ケ辻)後、13年の水害で崩壊したまま放置されていたものを、31年に一部付け替え改良し、全国初の公共団体経営の有料道路として復活 開通1周年記念絵はがき

南北交通を阻んだ六甲山系
トンネルで西北神と市街地を直結

兵庫地理学協会会員 小林 茂



  • 六甲越え道(鉄道以前)

  • 主要道路図
  • 市街地と北神地域を2分するように立ちはだかる六甲山系。生田川(写真中央)上流の新神戸から北側の北区山田町下谷上まで、この山の下を新神戸トンネルと、さる11月に開通した第2新神戸トンネルの2本の自動車トンネルが通っている。第2新神戸トンネルの開通で、従来のトンネルを北行に、新しいトンネルを南行にー方通行化することによって、より安全で走りやすい道路に生まれ変わった
  • 第2新神戸トンネル内部。延長7,684m(うちトンネル部分7,175m)で、全国で3番目に長い。トンネル内の防災・照明・換気設備などはすべて箕谷インターチェンジ内の道路管理事務所中央監視室でコンピューターにより集中監視制御されている
  • トンネルの北出入り口。右が北行の新神戸トンネル、左が南行の第2新神戸トンネル

  • トンネルの北出入り口(写真手前中央部)上空から南方を望む。トンネル出入り口の手前やや右が箕谷インターチェンジで、料金所、消防署、道路管理事務所、駐車場などが見える。インターチェンジは国道428号、県道神戸三田線と接続している。トンネル北出入り口の前方、山に囲まれた広い住宅団地は山の街。山の街のやや前方左端に見えるのは市立森林植物園。さらに前方の海面には海に浮かぶような形でポートアイランドがにぶく光って見える

  • 第2新神戸トンネルの南出口部分
  • 旧天上寺への長い石段の参詣道

    開通当初の裏六甲ドライブウエー(昭和3年、唐櫃〜西六甲前ケ辻)
  • 現在の摩耶ケーブル山上遊園"千万ドル展望台"

    ありし日の摩耶山天上寺(昭和五十一年焼失、現在は山上に再建)
  • 山荘やホテル、商店などが点在する六甲山上を東西に走る明石神戸宝塚線。山上の縦走自動車道は裏と表のドライブウエ一の完成に続き、昭和9年に開通した

    現在の裏六甲ドライブウエー

    再度ドライブウエー(昭和十年開通)


東灘区森北町の山際にある魚屋道の道標

魚屋道(ととや)道
−東六甲最古の山越え道−

 魚屋道は、江戸初期から灘地方と有馬を結ぶ東六甲最古の山越え交通路で、当時の絵地図によると今の登山コースとほぼ一致して、東灘区森で西国街道から分かれて山に登り、風吹岩―東おたふく山―本庄橋―一軒茶屋―射場山山腹―有馬のルー卜を通っていた。『摂陽群説』に「山腹より有馬湯本に越す道あって六甲越と号す。樵夫の如きもの、乃津甲越と言えり。莵原郡森村へ出る所なり」とあるのがこの古道である。灘地方の海岸で捕れた新鮮な魚を、魚屋が荷を担いでこの道を越え、有馬温泉の旅館目当てに通ったことからその名が付いたのだろう。
 江戸時代も中期になって世の中が安定するとともに、六甲南麓は著しく発展、同時に有馬も京阪神の保養地としてますます繁栄し、この便利な最短距離の六甲越えコースはひんぱんに利用されるようになった。このため、幕府が灘から有馬への正規の道を、西宮―宝塚―蓬来峡―船坂―有馬と定めた後も、遠回りを嫌って人々はこの道を利用し続けた。

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  • 蛙岩の北方にある山の神。今も新しい草花を供える人が絶えない
  • 山中の魚屋道沿いに横たわる蛙の形をした蛙岩。ここを行き来した魚屋さんたちも石の上で一服したことだろう
  • 森の稲荷神社にある石の手水鉢。文政五壬午年(一八二二)六月吉日の奉納で、裏に魚屋道を利用した深江、青木村の魚屋さんの名がずらりと刻んである。魚屋道は神社からほぼ真北へ、新興住宅地を抜けて山道に入る
  • 本庄橋跡。本庄橋は、魚屋道が住吉川の上流を渡るところにかけられた石橋で、この辺りが本庄九か村の入り会い地だったことからこの名が付けられたのだろう

    住吉道を行くハイカー。ハイカーの歩く尾根道の右側が深い谷になっていて住吉川が流れている。住吉谷を通る住吉道は、明治七年に神戸〜大阪間に鉄道が開通、住吉駅ができてから脚光を浴びるようになり、森の稲荷神社から山を越えて住吉谷上流の本庄橋へ出る古くからの魚屋道は次第に衰微した
  • 最高峰下のドライブウエ一沿いにある現在の一軒茶屋。写真は茶屋の裏側で、本庄橋から山上へ登ってくるとここへ出る

    昭和初期の有馬七曲り街道(魚屋道)

    魚屋道に今も立つ石碑「南無妙法蓮は華経」と刻んである
  • 現在の本庄橋。以前は石橋だったが、今は木造になっている

    現在の有馬側魚屋道
  • アイスロード(前ケ辻〜新六甲大橋)。明治・大正時代、六甲山上の冬の天然氷を氷室に貯蔵しておき、夏になると、この道を通って神戸の市街地へ運び販売していた

    烏原谷の妙号岩。烏原古道の往来の安全を祈って、文久年間(1861〜63)に小部村極楽寺の和尚が独力で仕上げたといわれ、高さ54.5mの見上げる大岩石に、南無阿弥陀仏の六字が力強く彫ってある

    シュラインロ一ド(前ケ辻〜唐櫃)
  • 再度山大龍寺の参詣道(大師道)。延暦年中(七八ニ〜八〇五)、弘法大師が入唐のとき登山して求法を祈り、帰朝したときも再び登山したので、再度山・大師道の名がついたと伝えられている

    大龍寺本堂

    役の行者を祭っているシュラインロ一ドの行者堂。この堂があるのでシュラインロードと呼ばれるようになった
  • 神戸から有馬へ行く道として古くからにぎわった有馬街道(国道四二八号)。以前は道幅も狭く、しかも、天王谷川を右に左に飛び石伝いに何度も渡るので危険も多かったが、その後、度々の改修で現在のような幹線道路に拡張された。天王谷川(写真中央)の右は旧道、左が新道

    有馬街道を見下ろして立つ小部峠宝篋印塔。室町時代初めの応永8年(1401)の建立で、往来安全のため造られたものらしい

  • 中国縦貫自動車道の神戸三田インターチェンジ。写真中央部を縦(東西)にゆるやかなカーブを描いているのが中国縦貫自動車道、この道路を高架で横断し、左(南)へ走っているのが建設中の六甲北有料道路2期

  • 烏原谷を走る神戸電鉄の車両を見下ろす妙号岩。この辺りの谷は、妙号岩と菊水山にはさまれて鋭く切れ込んでおり、線路に沿って谷川が流れている。昔の古道越えの厳しさがしのばれる
  • 第二神明道路伊川谷インターチェンジから西区の布施畑西ランプまで部分供用されている北神戸線。さらに北へ建設工事が進められている
  • 急ピッチで建設工事の進む六甲北有料道路2期吉尾ランプ付近
  • 中央部の左右の山は神有カントリークラブ。山すそを左右(南北)に通っている道路は六甲北有料道路。山の前方に藤原台と有野台が広がって見える。手前中央部付近から斜めに走っているのは三木三田線
  • 国道二号、第二神明道路などと接続しながら西神地域を縦断、舞鶴まで伸びている国道一七五号
  • 六甲有料道路(裏六甲ドライブウエー)、六甲北有料道路と、神戸三田線の三つが接続している唐櫃インターチェンジ。写真左、自動車の見えているのが六甲有料道路、その右先、山際に見えるトンネルが六甲北有料道路で、山の中を北へ伸びている。トンネルの少し手前を左右(南北)に神戸三田線が通っている
  • 写真手前山際の東西の道(山田道・三木下谷上線)から、山田の里ののどかな田園地帯を抜けて北へ伸びる国道428号。北では淡河道(三木三田線)とつながっている
  • 県道沿いに立つ丹生神社の鳥居。鳥居の前方左側に丹生山が見える。神社はその頂上にある

    丹生神社鳥居の南の田んぼの辻に立つ道標。「右ひょうご、左ありま」とあり、写真に見えるあぜ道が南の藍那へ通じている
  • 落ち着いた昔の面影を残す淡河の町並み

    淡河の村上家本陣跡の"離れ"の鬼がわら。福を呼ぶために作ったのだろう

    県道沿いの山田小学校の少し南にある古い地蔵堂。以前はワラぶきだったが、今はトタン屋根になっている。県道ができる前の古い山田道はこの前を通っていた
  • 本陣跡の近くに立っている「南 山田兵庫 東 有馬大阪」の道標


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