190号表紙

No.190(昭和63年8月)

特集:

六甲山の河川

六甲山の河川

(左)
六甲山からまっすぐに流れ落ちてくる住吉川

表情豊かな六甲の河川

 六甲山は谷が多い。谷は清らかな流れをつくり、滝をつくり、人々を誘う。東から思いつくまま挙げると、住吉川上流の住吉谷、都賀川の杣(そま)谷、布引の奥の二十渉(わたり)(トエンティクロス)、宇治川上流の再度谷(大師道)…と、そこはもう、神戸市民なら何度か歩いているハイキングコースである。
 山歩きの楽しさだけではない。六甲山地の南の市街地に住む市民は、朝起きると山を仰ぎ、疲れるとまた山を、そして遠方から神戸へ帰って来ると、まず六甲の山並みを見てほっとした気分になる。六甲は、毎日のくらしと切りはなせない市民のオアシスなのだ。

二つの「顔」をもつ六甲
しかし六甲山は、こんな優しい顔をもつ一面、想像以上に険しい顔ももっている。
六甲は標高九三一・三メートルで、そんなに高い山ではない。しかし、山が海岸近くにあるため、実質的な高度差はかなりあることになる。しかも、六甲山系は、大阪湾が陥没した際押し上げられて出来たものといわれ、断層が縦横に走り、その基岩はわが国でも代表的なもろくて弱い花崗岩風化地帯である。
 このため、六甲山地から流れ出る河川は、いずれも延長が短く、流域面積も小さく、そのうえ急勾配であるため、降雨の度に風化土砂が谷筋に堆積(たいせき)する。そして、ひとたび大雨が襲来すると、堆積した土砂などが一気に流れて河床を上昇させ、溢水・破堤の原因となり被害をもたらしてきた。古くは、大掛かりな付け替え工事を余儀なくさせた旧生田川、旧湊川の度重なる氾濫、記憶に新しいところでは、昭和十三年七月と四十二年七月の二回の大水害が端的にそれを示している。

はげ山だった明治初年の六甲
 昭和十三年七月の大水害を契機として、災害の復旧と、再びこのような災害を繰り返さないため六甲山系の砂防工事は国の直轄事業として施工されるようになり、現在まで約五十年にわたって実施されている。また、その後の人口の都市集中によって住宅は山ろくにはい上がり、山間部にも谷間にも進出して、被災の恐れが増大している。このため国・県・市が一体となって、都市小河川改修事業などにより、治水事業の促進に努力している。
 災害を防ぐには、どうすればよいか。以下、治山(植林)と砂防、市街地河川改修事業の三つに大きく分けて、その経過と事業のあらましをみてみよう。

 治山事業  樹木は見た目の美しさだけでなく、張った根が土砂をしっかりとつかんで崩壊を防ぐのに大きな効用を発揮する。ところが六甲山系は、地質が風化性に富んだ花崗岩であるのと、寡雨のため山火事が多く、加えて周辺の文化が早くから発達していたため乱伐され、明治の初めにはほとんど全山が禿(はげ)山と化していた。六甲が現在のような緑の姿を取り戻したのは、明治三十年中ごろから今日まで営々と積み重ねてきた植林の結果である。
 戦後は、民間も積極的に協力し、財界人が提唱して「六甲山を緑にする会」ができ、次第にヒノキ、スギなど針葉樹に重点を移して官民一体の植林が続けられた。

比重が大きい六甲砂防
 砂防事業 山から流れ出た土砂が、大洪水の時に、一挙に下流へ流れないよう途中で防止するのが砂防ダム(堰堤(えんてい))である。昭和十三年の大水害のあと国の直轄事業として進められている六甲山系のダム建設は、現在、計画八百ヵ所のうち半分が完成している。今年度も継続・新規を合わせると計三十五ヵ所で困難な作業に取り組んでいる。
ちなみに、六十三年度の全国の直轄砂防関係予算は六百九十四億円で、うち六甲は四十二億円と六%を占めている。日本を代表する都市型砂防として、六甲の占めるウェイトは非常に高い。
また、今後の砂防事業については、国立公園に指定されている六甲山の自然を損なわないよう、従来の防災一辺倒でなく、砂防施設がレクリエーション地として多くの人々が楽しく利用できるような配慮もし、設計・建設を進めることにしている。

全国でも珍しい治水施設
 市街地河川改修事業  六甲山系の南斜面を流れ、神戸の市街地から大阪湾へ注いでいる表六甲河川(二級河川)は二十本ある。このうち、昭和十三年大水害で大きな被害を出した十河川を甲河川(残り十河川は乙河川)として優先着工し、国や県の手で改修工事が進められた。現在、甲河川は計画の大半が達成されている。
 乙河川は昭和四十二年の災害で大きな被害を受けるまで未改修のままだったが、四十二年度以降、兵庫県は災害復旧事業として宇治川を、また新湊川などの改修にも取り組んだ。一方、四十五年度に都市小河川改修費補助制度が設けられたのを機に神戸市は県から委任を受け、天神川はじめ乙河川の改修に着手した。これらの工事の一環として完成したのが宇治川調整池と、北野川沈砂池及び流木止である。暗渠(あんきょ)河川の上手の入り口に池を設け、洪水時の下流の流量をここで調整するとともに、山から流れてくる土砂や流木を止め、地下河川がつまらないようにするための全国でも珍しい治水施設である。
 市街地の河川は、暗渠になっていたり、護岸に人家が並んでいるため、川の拡幅は非常に困難である。このため神戸市では、暗渠河川の新設や河床の切り下げ、トンネル式放水路などの方法で、河川の流下能力を増大させている。

(資料・写真提供 建設省近畿地方建設局六甲砂防工事事務所、兵庫県土木部河川課、神戸市立博物館)

写真
六甲山系の主要河川
  • 写真

    JR線の上を流れる住吉川。標高九三一・三メートルの六甲山から急流で直線的に海に向かう川は、東西に延びる市街地や国道及び鉄道を横切り、このような天井川となっている所も多い

    写真六甲の清流で遊ぶ少女(生田川上流市ケ原付近で)
  • 写真市街地の河川は暗渠が多い。中央区の繁華街の地下を流れている鯉川はメリケンパークの付け根の海へ注いでいる
  • 写真石屋川の河口付近にある酒蔵。灘の酒蔵が都賀川、石屋川、住吉川などの河口の砂州にかたまっているのは、六甲山系からの良質の水が得やすいのと、海に近いため原料米や製品の搬出入に便利だったからである
  • 写真もろくて弱い六甲山の地質を示す住吉川上流の川辺の岩肌。手で触れても大きな石が落ちそうで、川の増水時の危険さがよく分かる
  • 写真山深い感じのする布引の渓流(生田川上流)
  • 写真川の流れをせき止めるように腰を据えた巨岩(都賀川上流杣谷)
  • 写真摩耶東谷の急流(都賀川上流)
  • 写真V字型に鋭く切り込んだ大月地獄谷(住吉川支流)。谷の底に細い川が流れている
  • 写真大きな岩石を縫って激しく流れる住吉川上流
  • 写真飛び散る水しぶき。雨の少ない真夏でも水勢はなかなか衰えない(住吉川支流西山谷)
  • 写真三十メートルの高みから白い布をたらしたような五助えん堤(住吉川)
  • 写真堺川えん堤。六甲山系も西端になると山は海岸線に迫っている。須磨浦公園近くの堺川の河口部はJR、国道二号線、山陽電鉄が走り、西日本経済の動脈ともいえる重要な交通路である。堺川の砂防ダムはこの交通路を災害から守っている
  • 写真市街地のすぐ近くに整備された中尾谷西谷川砂防ダム(中央区)
  • 写真アーチ式になっている帝釈えん堤(新湊川支流イヤガ谷)
  • 写真市街地への流木の流出を防止する諏訪山第二えん堤(宇治川上流再度谷)。流木止め部分は高さ三メートル、幅十メートル
  • 写真都賀川上流の砂防ダム。手前は杣谷えん堤、前方は永峰えん堤で、両方で土砂をせき止め、下流への流出を防いでいる
二十渉えん堤建設工事(新生田川上流トエンティクロス)着工 昭和25年9月、完成 26年3月

  • 写真スリット付き杣谷えん堤(都賀川上流杣谷川)。スリット(中央、水の流れ出している部分)は、土砂調節量を大きくする
  • 写真着工前
  • 写真着工直後(25年10月)
  • 写真完成前
  • 写真全国でも珍しい治水施設・北野川の沈砂池及び流木止(中央区)。洪水時に山から流れてくる土砂や流木を止めたり、下流の流量をここで調整して、暗渠河川がつまらないようにしている
  • 写真

    宇治川調整池(中央区)

    写真59年1月から建設工事が行われている新市ケ原えん堤(副ダム付き)。生田川上流

旧生田川、旧湊川付け替え工事

◇旧生田川 旧生田川は、布引方面から加納町三丁目・現市庁舎前(フラワーロード)を流れ、税関のところで海へ注いでいた。しかし、川の西側に外国人居留地ができてからもしばしば氾濫(はんらん)したので苦情が絶えず、明治四年に現在の新生田川へ付け替えた。旧河川敷は工事を請け負った加納宗七らが払い下げを受け、明治八年約十万坪を市街地として加納町と名付けた。現在の市庁舎は、旧生田川の西堤防の上に建てられている。
◇旧湊川 旧湊川は、もとは天王川と石井川の合流点から、今の湊川新開地筋を南へ流れていた。明治になって、兵庫・神戸間の街が発達し交通が盛んになるにつれて、この川が交通上の大きな妨げになったのに加え、明治二十九年八月、かってない大水害が起こり、死傷者数百名、破損倒壊家屋七百戸、橋の流失十六という惨事に見舞われた。
これを機会に付け替え工事は急速に進められ、川を今の菊水橋の南手から西へ曲げ、会下山の下に通水トンネルを抜いて苅藻川に合流させ、海へ注ぐようにした。新湊川の起工式は明治三十年十一月、完成は同三十四年七月で、もとの川筋(旧湊川)は埋め立てられ、後に湊川新開地として発展した。

写真
武庫連山海陸古覧 若林秀岳筆 江戸時代末期の神戸、走水、ニッ茶屋村と兵庫津。絵の中央部分の川は旧湊川、右端は旧生田川。神戸市立中央図書館蔵
六甲山の植林
写真左から植林開始(明治三十年中ごろ)。施工後一年。施工後十年
  • 写真
  • 写真
  • 写真
  • 写真「都賀川を守ろう会」が行っている川開きで、魚のつかみ取りなどを楽しむ子供たち
  • 写真神戸の新しいシンボルとして、放水広場・水辺広場の整備が計画されている生田川。両岸には放水施設が設けられている
  • 写真生田川の水辺広場完成予想図
  • 写真「布引・市ケ原を美しくする会」のメンバーによるクリーン作戦(市ケ原)
  • 写真両岸の緑が美しい妙法寺川
  • 写真住吉川の水質や魚の生息状態を調べる地元の魚崎中学生
  • 写真石屋川公園を流れる人工のせせらぎ。すぐそばを流れる石屋川の水を引き込み、子供たちの水遊び場として整備されている
  • 写真川辺の緑地でセミ取りをする親子(妙法寺川)
  • 写真渓流での水遊びを楽しむ子供たち(住吉川上流)
  • 写真河川の流下能力を増大させるため川床を切り下げた苅藻川(長田神社付近)
  • 写真休憩施設や健康器具などが整備されている住吉川の"清流の道北公園"

神戸を襲った大水害
■昭和13年7月
■昭和42年7月

◇昭和十三年七月災害 総雨量四百六十一・八ミリ(七月三日〜五日)、最大時間雨量六十・八ミリの豪雨によって、六甲山系の至る所で大崩壊が起こり、多量の土砂、流木等が流出、死者六百十六人、家屋全壊二千二百十三戸、道路決壊六十九ヵ所。六甲山系からの流出土砂量約五百万立方メートル。
◇昭和四+二年七月災害 総雨量三百七十八・九ミリ(七月五日〜九日)、最大時間雨量七十五・八ミリの豪雨で河川の氾濫、がけ崩れが発生、死者・行方不明九十二人、家屋全壊三百六十一戸、道路決壊八十七ヵ所。流出土砂量約二百三十万立方メートル。
四十二年七月災害は、十三年七月災害に比べて総雨量はやや下回るが、最大時間雨量や日雨量はこれを上回っているのに土砂の流出量は半分以下であった。これは十三年以後の治山・砂防工事の効果である。

  • 写真住吉川のはんらん(東灘区住吉山手3丁目)13年7月
  • 写真大量の土石流のため埋没した妙法寺川と道路(須磨区禅昌寺町2丁目)13年7月
  • 写真都賀川のはんらんで埋没した国道電車(灘区灘南通1丁目)13年7月
  • 写真天王谷川のはんらんで冠水した道路(中央区多聞通5丁目)13年7月
  • 写真国道2号線の住吉橋上に堆積した巨石(東灘区住吉東町1丁目)13年7月
  • 写真宇治川のはんらん後、流木で埋まった商店街(中央区元町通6丁目)13年7月
  • 写真天王谷川のはんらん(兵庫区平野町字天王谷)42年7月
  • 写真宇治川のはんらんで濁流が流れる宇治川商店街(中央区)42年7月
ページトップへ