180号表紙

No.180(昭和62年10月)

特集:

市境を歩く(中)

斜張橋とも湖面橋とも呼ばれている優美な衝原大橋。神出山田自転車道(西区神出町東〜北区山田町下谷上、22.6キロ)が完成すると、この橋を通ってさらに東の下谷上まで道は延びることになる。橋は今年2月に完成したばかりで今はまだ通ることはできない(山田町衝原)

北区の山や丘陵地帯をぬって…

「北区は、幼いころ、どこかで見たような光景にふと出合い、何ともいえぬ懐かしさがこみあげてくるような町だ」とだれかが言っていたが、確かにそうである。豊かな山の緑、わらぶき農家のある田園地帯、数多くの文化財…、そんな、幼いころどこかで見たような風景が随所に点在している。しかし一方では、大規模団地が次々と開発され、高速道路やトンネルの建設も進められて、いわば、"静"と"動"がうまく調和しながら発展しているたくましい地域でもある。神戸市の四十四%の面積をもつ市内で最も広い区で、昭和四十八年八月一日、兵庫区から分区した。
 西区の押部谷町から、三木市との市境をたどりながら北区に入って最初に出合うのが山田町衝原(つくはら)の衝原湖である。昭和五十五年から六十一年にかけて東播用水農業水利事業として農林水産省近畿農政局が建設した呑吐(どんど)ダムによってできた大人工湖だ。湖底に沈む予定地にあった箱木千年家(現存する日本最古の民家)は解体・移築工事が行われ、貯水池の東端付近に移って今も一般公開されている。
 市境は、この衝原湖の西の外れを南北に通っている県道三木下谷上線をまたいで湖面に入り、ダムの南側を一・五キロほど東西に通って北の山地に折れ、淡河町のシビレ山の方向に延びている。ダムそのものは三木市だが、湖面の大部分は神戸市域である。その中に今年二月に完成した斜張橋の衝原大橋がひときわ目を引いていた。

山田町

国道の市境に立つ古めかしい仏の道標

衝原湖に沿って走っている県道三木下谷上線の三木との市境。市境は右側の高い土手を越えて湖へ入っている(山田町衝原)

三木下谷上線から呑吐ダムを望む。オイルフェンスのやや手前辺りを三木との市境が左右(東西)に走っている。前方は三木、手前が山田町衝原

衝原湖の東端付近にある通称"こうもり谷"。昔は木も少なく、谷にこうもりがたくさん生息していたそうだが、今はどうか地元の人でもよく知らない(山田町衝原)

高さ七十一・五メートルの呑吐ダム。農業用水とともに、神戸市を含む十三市町村に上水道用水を供給している(三木市)

三木下谷上線と衝原湖の間に一部完成している神出山田自転車道(山田町衝原)

 淡河町は南に平安時代以来、神仏混合の山岳信仰の場所として栄えた丹生・帝釈の山々、西から北にかけても山ないし起伏の多い丘陵地帯になっている。町の東西を貫通している県道三木三田線の、三木との市境に最も近いバス停「勝雄不動口」から半時間ほど田んぼ道を歩いて南のシビレ山方向へ上り、市境に近づこうと試みたが不動滝の辺りで行きどまりであった。元の県道へ引き返し、少し東の淡河八幡神社や淡河町の古い町並みを抜け、淡河名物豊助まんじゅうの店の角を左へ折れて国道四二八号に入る。この国道は、昭和五十七年四月に県道から国道に昇格しており、JR神戸駅の北側を起点として中国自動車道の吉川インターに至る道路で、現在その八割が改良整備を終えている国道を北進し、三木市と吉川町と神戸市が接している。峠を目指した。途中には、安永六年(一七七七年)に建てられた日本最古といわれる北僧尾農村歌舞伎舞台もあり、のどかな田園風景が広がっていた。峠に上るにつれて、田畑はなくなり、市境には「右やまだ ひょうご 左しゃくぶじ ありま」の古めかしい道標がぽつんと立っていた。
 ここから大沢町へ向かう途中、朱塗りの三重塔で有名な石峯寺(しゃくぶじ)に寄ってみると、吉川町からマイクロバスで来たというお年寄りの団体が境内で休んでいた。人けの少ない市境を歩いて来たせいかとても懐かしく、つい「遠いところをようこそ」と声が出かかった。地図を見ると寺の五、六百メートルほど北が吉川町との市境で車で回り道をしても半時間ほどでここまで来られるのだ。石峯寺から市境を左に見ながら太陽と緑の道を歩いて、大沢町中大沢の大岩鼻に向かった。

大沢町の大岩鼻で出会ったおばあさん

 大岩鼻に着くと、孫の手を引いたおばあさんに出会った。おばあさんは複雑な吉川町との市境をひとつひとつ対象物を指差しながら丁寧に教えてくれた。
 まず大岩鼻は、横から見ると人間の大きな鼻に似ているところから古くからそう呼んでいること。鼻の先っぽ辺りに立っている鉄塔のところを市境がカーブしながら通っていて、右が神戸、左が吉川町。あの柿の木は見たところ神戸のように見えるが実は吉川町、あの火の見やぐらも吉川町、そこの太陽と緑の道の道標の立っている道はもちろん神戸だが、すぐ左はまた吉川町…と、説明は至って簡潔で分かりやすい。「とてもお元気そうですね」と言ったら、「こんな空気のええとこに住んでいるんじゃもん」と笑った。大岩鼻から少し北へ進むと、ゴルフ場が一望に見渡せた。
 市境を左に見ながら、太陽と緑の道を進んでいくと坊主岩の辺りに出る。そこから太陽と緑の道と別れ、一・五キロほど進むと、県道西脇三田線と出合うので、左に折れてさらに進むと大沢町簾(すだれ)に出る。市境はここでいったん平地に出るが、内脇三田線を越えると再び山に入る。
 そこから市境は、長尾町に入り、市道岩谷線とまじわる。この辺りは、は場整備をしており、道路は吉川町の方へは進めなくなっている。引き返して中国自動車道の昼食時でにぎわう赤松パーキングエリアを見たあと、自動車道の下をくぐり、カーブしながら小高い丘を登ると、自い建物の老人ホーム愛寿園と有馬高原病院が並んで建っていた。ここが神戸市の最北端で、吉川町と三田市と神戸市の市境が接している地点でもある。病院の建物が明るく、平坦で見通しがよかったせいか、予想していたような神戸の最果てという感じはしなかった。
 ここから、心境は中国自動車道の北側を東へ向かって走っているが、途中、六甲北有料道路二期工事や中国自動車道のインターチェンジ・六車化工事を右に、そして来年開催のホロンピア'88の主会場となる北摂三田ニュータウン南地区を左に見ながら。道場町へ入って行く。

印象深かった生野高原住宅からの遠景

 道場町に入ると、まず月見橋を渡って塩田八幡神杜へ向かった。月見橋は、在原行平(八十八〜八九三年)が京都から須磨の配所に流された時、知り合った美しい姉妹、松風・村雨を連れて塩田川(今の有馬川)に遊びに来て、月見を楽しんだことからこの名が付いたと伝えられている。「岩高き塩田の川に舟うけて指登りたり月を見るかな」−これが、行平がこの辺りで遊んだ時にうたった歌である。 有馬川に架かるこの橋の周辺は、その名が示すとおり今ものどかで美しい所だ。塩田八幡神社では境内から奥の山に入り、社殿のすぐ北側を通っている三田市との市境に出てみたが、社殿と市境は二、三十メートルしか離れていなかった。神社は北摂における厄除けの神として有名で、毎年一月十八・十九日の二日間にわたって行われる厄除け大祭は数万人の参拝者でにぎわうという。
 道場町から三田、宝塚市に及ぶ一大人工湖、千苅貯水池では水道局北神浄水事務所の水質調査のボートに乗せてもらい、美しい湖面を滑るように市境へ向かった。神戸と三田の市境、続いて三田と宝塚の市境を通ったが、山に囲まれた貯水池の風景はどこも似たようなもので、写真でその違いを表わすのは難しい。
 道場町では、三市(神戸、宝塚、西宮)の接点辺りの昨年十ー月に複線・電化が完成したJR福知山線の鉄橋を、ちょうどトンネルから出て来た黄色い電車が通りかかった風景や、西宮市との市境線に広がる生野高原住宅からの遠景が特に印象的だった。

山田町・淡河町

淡河町

淡河町・大沢町

大沢町

長尾町

長尾町・道場町

道場町

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