171号表紙

No.171(昭和62年1月)

特集:

みなとの120年(下)

"激動"から、海上文化都市建設ヘ

昭和年代に入ってからの年表をたどってみると、二年の金融恐慌、四年の大不況、それから満州事変、日中戦争、阪神大水害、太平洋戦争、そして終戦、戦後の混乱、講和条約、さらに、高度成長とその調整過程…と、まさに激動の連続である。人生に例えるなら、喜びや悲しみ、あるいは過ちを、限りなく繰り返した波乱万丈の一生だったような気がする。
 さて、港に目を向けると、よく言われている言葉だが、今世紀の港湾建設の最高傑作とされている海上文化都市・ポートアイランドに尽きるのではなかろうか。山を運んで海を埋める―、考えてみると、平清盛が八百年前に築造した大輪田泊(おおわだのとまり)がそうだったし、戦後に限って見ても、第七・第八突堤、東部及び西部臨海工業地帯、摩耶埠頭と続き、それらの造成が内陸地の大規模なニュータウンの開発につながった。そんな長い歴史の中で、港を愛した数え切れない人びとの"英知と努力の結晶"がポートアイランドである。
 ポートアイランドに続いて、その一・三倍もある六甲アイランドが、大きな夢を虹(にじ)のように描いて今、着々と海上ハイテク文化部市を目指している。
写真提供・参考図書

(順不同、敬称略)

新修神戸市史編集室、神戸市立博物館、荒尾親成、神戸開港100年の歩み(神戸市港湾局)、神戸港工事事務所のあゆみ(運輸省第三港湾建設局神戸港工事事務所)、神戸港1500年(鳥居幸雄著)、生田いまむかし(生田区振興連絡協議会)、神戸商船大学50周年記念誌(神戸商船大学)、神戸港概観(神戸税関)、神戸市史、神戸開港百年史(建設編・港勢編)、神戸港大観(以上神戸市)

神戸港年表

昭和年間
昭和 2年 4月 1927年 鈴木商店倒産
戦前・戦後を通じて、神戸市内の一企業の動向が、日本経済全体にこれほど大きな影響を与えたことはない、といわれたほど、昭和初期の日本経済、特に神戸経済にとって衝撃的な出来事だった。倒産前の鈴木商店の事業は、海運・電気・鉄・鉄道・毛織物・砂糖など多方面に及び、直系・傍系を含めると事業会社数50余、資本総額は5億5千万円を超えた。放慢な膨脹政策に終始した結果の破局であった
10月 苅藻島埋め立て及び運河開設工事着工(昭和6年3月完成)
昭和 3年 2月 1928年 普通選挙法による最初の衆議院議員選挙
3月 国立神戸移民収容所開設
11月 神戸有馬電気鉄道(現神戸電鉄)湊川〜有馬温泉開通
兵庫運河の高松橋(わが国最大の一葉式跳躍橋)完成
12月 神戸臨港線の海岸線(湊川〜小野浜)開通
神戸駅の貨客分離と高架線の建設に伴い、海岸線が敷設された
昭和 4年 2月 1929年 中突堤着工(昭和11年3月完成)
昭和 5年 9月 1930年 観艦式記念「海港博覧会」開催(9月20日〜10月31日)
経済不況の克服と内外の需要を喚起するため、兵庫中之島・湊川公園・関西学院跡(現王子動物園)の3会場で開かれた。好天気に恵まれ、夜間開園されたこともあって入場者は延べ137万3千人に達した
昭和 6年 9月 1931年 神戸市に区制実施
灘・葺合・神戸・湊東・湊・湊西・林田・須磨の8区。8区役所が開設された
満州事変起こる。この年海運界活況を呈す
昭和 7年 11月 1932年 突堤の名称変更。従来東から起算したものを西から第1・第2・第3・第4と改称
昭和 8年 6月 1933年 阪神電鉄、岩屋〜三宮地下線開通(11年3月元町まで延長)
11月 兵庫突堤完成式典
第1回みなとの祭挙行(11月7日〜8日)
この年 神戸港の貿易初めて輸出超過す
昭和 9年 9月 1934年 室戸台風により、高潮の被害甚大
昭和10年 3月 1935年 市立海員会館完成
この年 昭和9年度で、東部内貿地帯埋め立て着工(15年3月完成)
神戸市が公有水面の埋め立て免許を得て着工した最初の埋め立て工事。これは、大倉山の公会堂用地造成残土と、阪神電鉄三宮〜元町の地下鉄工事の残土を利用して埋め立てを行ったもので、これが現在の灘埠頭の西半分である。東半分は、13年の阪神大水害で六甲山から流出した土砂を利用して15年3月、都賀川西部海面埋め立て工事として着工したが、戦争のため中断。戦後の27年3月にやっと完工式を迎え、灘埠頭と命名された
昭和11年 4月 1936年 阪急電鉄、西灘(現王子公園)〜三宮高架線開通
10月 観艦式記念「神戸博覧会」を湊川公園で開催(10月3日〜11月15日)
この年 神戸港の入港船舶数,開港以来の記録を達成
入港船舶27,067隻 4,930万7,634総d。また、翌12年には貿易総額も、戦前最高記録の22億円(対全国比率32%)に達した
昭和12年 7月 1937年 日中戦争起こる
昭和13年 4月 1938年 港則改正、神戸港域は、芦屋川口から妙法寺川口までに拡張
7月 阪神大水害発生
神戸市が最も被害が激しく、死者616人、負傷者1011人。市民の約4分の3が被災するという未曽有の大水害であった
昭和14年 5月 1939年 神戸港第2期修築工事完成
昭和15年 10月 1940年 国勢調査による神戸市の人口96万7234人となる
昭和16年 7月 1941年 第1回海の記念日挙行
12月 太平洋戦争起こる
昭和17年 4月 1942年 外国人居留地の永代借地権制度解消
8月 関西汽船設立
神戸を中心に内海貨客定期航路を運航
昭和18年 11月 1943年 運輸通信省第3港湾建設部・同省神戸海運局設置。
神戸税関は神戸海運局に統合されて閉鎖
昭和19年 9月 1944年 港頭倉庫在庫貨物の疎開始まる
昭和20年 3月 1945年 神戸大空襲、市の西半分焦土と化す
5月 市の区制改正。6区制を実施
湊・湊東区を廃し、神戸区を生田区に、林田区を長田区に改称
6月 再び神戸大空襲、市の東半分焼失
3月と6月の大空襲をはじめ、前後10数回の爆撃によって神戸市の大半は灰じんに帰してしまった。被災面積は約590万坪(全体の60%)、被災戸数は12万8千戸(戦前20万戸の64%)、被災人口は約49万人(戦前人口の51%)に上った。また昭和22年の臨時国勢調査によると、死傷者は2万1516人とされている
8月 終戦
9月 市内公私の建物、港湾施設など連合軍による接収始まる
10月 神戸港内水域の掃海着手。敷設機雷数400個以上と推定、触雷船20隻を超す
11月 戦後第1回の人口調査実施(神戸市人口37万8592人)
昭和21年 6月 1946年 神戸税関再開
昭和21年 11月 1946年 兵庫突堤基部接収解除(接収解除第1号)
このあと22年2月に兵庫第1・第2突堤、25年4月に第5・第6突堤、27年3月にメリケン波止場及び第4突堤が解除。さらに昭和34年2月までに全面接収解除
須磨区から分離して垂水区新設、7区制となる
この年 神戸港に新倉庫の設立相次ぐ
神戸の港湾倉庫は、その3分の1を戦災で失い、戦後は川西・住友・三菱・三井倉庫などが接収されるなど一時は放心状態だったが、新しく神港倉庫(21年)、神明倉(同)に続き国際運輸倉庫(23年)、篠崎倉庫(24年)などの新興倉庫が設立され、戦後の業界復興の第一歩を踏み出した
昭和22年 4月 1947年 地方自治法公布(5月3日施行)
8月 民間貿易再開
この年の神戸港輸出量は、前年の1.9倍に増加し、輸入量の2倍増と相まって、希望の光を見出すようになった。貿易事情説明会や貿易再開講演会など、活発な啓発活動も始まった
昭和23年 4月 1948年 神戸海上保安本部設置(25年6月、第5管区海上保安本部と改称)
昭和24年 1949年 兵庫運河水面貯木場着工(32年10月完成)
昭和25年 3月 1950年 神戸博(日本貿易産業博覧会)開催
3月15日〜6月25日、王子・湊川両公園
4月 東灘区を新設、市内8区制となる
6月 朝鮮戦争起こる
10月 神戸国際港都建設法公布
昭和26年 4月 1951年

昭和25年、「港湾法」が制定される
昭和26年、神戸市が神戸港の港湾管理者となる。
昭和26年、新港第7突堤建設に着手(昭和31年に竣工)。
昭和29年、新港第8突堤建設に着手(昭和42年に竣工)。
昭和33年,兵庫第3突堤建設に着手(昭和40年に竣工)。

神戸市は、神戸港の港湾管理者となる(7月1日、港湾管理運営に関する業務開始)
当初、兵庫県は神戸市の単独港湾管理に難色を示していた。これに対し神戸市は、神戸は港とともに発展してきた街であり、従来から神戸港の建設は国と市の投資で行ってきた。その上、市有施設を他に移管するのは市民の合意が得られないなどの問題点を挙げ、市が管理者になるべきだと主張。学識経験者を含め、両者が度重なる協議を行った結果、この方針が決定した。これによって、国有港湾施設は運輸省から神戸市へ管理委託され、市単独の民主的な港湾行政が始まった
第7西突堤着工(28年完成)
9月 神戸港は特定重要港湾に指定される
昭和27年 1月 1952年 瀬戸内海安全宣言式挙行
4月 対日講和条約発効、市内の連合軍撤退始まる
10月 第1回国際港湾会議開催
10月9〜10日、神戸商工会議所。港湾に関する国際会議は世界でも初めてで、神戸での戦後初めての国際会議であった。17ヵ国の代表と、11ヵ国の在日外交代表、日本からは高松宮殿下をはじめ100人余など、計約300人が参加した
12月 第7東突堤着工(31年5月完成)
戦後初の南米移住船、神戸を出港
昭和29年 3月 1954年 東部海面埋め立て第1工区(114ha)着工(42年度完成)
神戸港の東部(東部臨海工業地帯}及び西部(西部臨海工業地帯)一帯にわたって大規模な埋め立て工事を行い、これによって新しく各種企業を誘致し、市内の産業構造の多元化と高度化を図ろうという、大埋め立て事業のこれが第一歩である
4月 戦後初の大型観光船キャロニア号(34,172d)入港
第8西突堤着工(34年6月完成)
7月 第1回海の女王選定
昭和31年 5月 1956年 第7東突堤の穀物サイロ(6千d)完成
昭和31年 7月 1956年 日本水産の南氷洋捕鯨船団、神戸港を基地に決定
10月 神戸国際会館完成
第11回国民体育大会、神戸で開催
この年 神戸市人口再び100万人突破
昭和32年 4月 1957年 西部海面埋め立て第1工区(38ha)着工(42年度完成)
市の総合庁舎完成、花時計始動
5月 市立須磨水族館オープン
7月 メリケン波止場船客待合所開設
10月 神戸・シアトル市が姉妹都市提携
この年 西部港湾物揚げ場(長田港)建設工事着工(36年5月完成)
神戸港の貿易額、輸出は戦前の73%、輸入は75%まで回復
昭和33年 10月 1958年 兵庫第3突堤着工(40年10月完成)
昭和34年 4月 1959年 摩耶埠頭着工(42年3月完成)
新しい海上輸送革命に対応するため、外国貿易専用に建設された神戸港近代化の象徴的な大型ふ頭。水深10〜12bの大岸壁に21のバースを持ち、超大型船も悠々と接岸出来る。第4突堤にはコンテナ専用船向けのバースが特設された

昭和34年、摩耶埠頭建設に着手(昭和42年に竣工)。
昭和34年、第5防波堤建設に着手(昭和42年に竣工)。

四十二年に完成した摩耶埠頭。それまでの突堤のイメージとかなり異なった広々としたふ頭で、当時、規模の大きさでは東洋一であった

この年 第5防波堤(延長1400b)着工(42年完成)
昭和35年 1月 1960年 港湾合同庁舎完成
12月 東部海面埋め立て第2工区(88ha)着工(43年度完成)
この年 第1防波堤かさ上げ工事着工(41年完成)
昭和36年 1月 1961年 西部海面埋め立て第3工区(47ha)着工(41年度完成)
3月 鶴甲山ベルトコンベヤー完成、運転開始。4月7日鶴甲山開発起工式挙行
7月 神戸・マルセイユ市が姉妹都市提携
12月 シアトル市に神戸貿易事務所開設
昭和37年 4月 1962年 中突堤船客待合所完成
5月 東部海面埋め立て第3工区(116ha)着工(43年度完成)
12月

37年に開設された住吉川の河中ダンプ専用通路。渦森山からの土砂の運搬に使用され現在は水辺の散策コースとして多くの人たちに利用されている

住吉川に河中ダンプ専用通路開設
この年 神戸港の名物であった川崎重工のガントリークレーン撤去
昭和38年 4月 1963年 神戸国際港湾博物館開館(中突堤)
第7突堤基部サイロ(1万2千d)完成(40年7月に4千d増設)
11月 神戸ポートタワー完成
昭和39年 1月 1964年

神戸港の海面埋め立てに活躍する須磨ベルトコンベヤー(39年完成)

須磨ベルトコンベヤー完成、運転開始
3月 臨港線の機関車、ディーゼル車に切り替え
6月 瀬戸内海総合開発洋上会議を「くれない丸」船上で開催
西部海面埋め立て第2工区(19ha)着工(43年度完成)
9月 神戸港湾労組連合会、港湾荷役の日曜休日制実施
昭和40年 2月 1965年 兵庫第3突堤にバナナ専用上屋完成
4月

埋め立て工事中の東部第4工区(45年度完成)

東部海面埋め立て第4工区(121ha)着工(45年度完成)
6月 第8東突堤着工(42年完成)
10月 神戸市臨時海岸防災本部を設置し、台風23号による災害復旧工事着手(41年度末完工)
昭和41年 4月 1966年 ポートアイランド着工(56年3月完成)
ポートアイランドは、単に港湾機能を持つだけの人工島ではなく、ファッションなどの都市型産業や、住宅・ホテル・病院・学校など総合的な郁市機能を備えた、全く新しい海の文化都市である。総面積436f、施工年度41〜55年度、総事業費5,300億円、居住人口20,000人、就業者数32,600人。ポートアイランド建設の意義や効緊については、経済・社会・文化など多面的にとらえる必要があるが、建設による生産誘発額だけを見ても、全国で1兆円、神戸市内では7千億円の巨額に上るといわれた

昭和41年、ポートアイランド建設に着手(昭和56年に竣工)。
昭和41年、第6防波堤建設に着手(昭和46年に竣工)。
昭和45年、第1南防波堤建設に着手(昭和47年に竣工)

実際の着工より少し遅れてクレーン船の上で行われたポートアイランドの起工式(43年)

昭和41年 6月 1966年 摩耶大橋開通
昭和42年 5月 1967年 神戸開港百年祭記念式典挙行
神戸港とシアトル港・ロッテルダム港が姉妹港提携
9月

コンテナ第1号船として摩耶埠頭に着岸した「ハワイアン・プランター号」(42年)

コンテナ第1号船「ハワイアン・プランター号」摩耶埠頭に入港
昭和43年 4月 1968年

43年ごろの神戸港の新港第1〜第4突堤。左端、第4突堤のポートターミナル(先端部分)の建設が始まったばかりで、その沖合のポートアイランドは、南側防波護岸が出来ているだけで陸地はまだ現われていない 市電税関線の営業廃止は41年5月、阪神高速道路神戸1号線・生田川〜若宮間の開通は43年7月である

神戸高速鉄道開通。阪急・阪神・山陽・神戸電鉄が相互乗り入れ
5月 第1回マルク債発行
昭和44年 5月 1969年 神戸・リオ・デ・ジャネイロ市が姉妹都市提携
10月 神戸商工貿易センタービル、サンボーホール完成
この年 日本の43年度GNP、米国に次ぎ世界第2位となる
昭和45年 4月 1970年 神戸大橋開通、ポートターミナル完成
神戸大橋は、市街地とポートアイランドを結ぶ動脈として人や貨物を運ぶとともに、ダイナミックな真紅のアーチは神戸のシンボルとして、市民に親しまれている。このほか、神戸港には41年6月に開通した摩耶大橋や、これと並んで架けられている第2摩耶大橋、美しいハープ型の六甲大橋(52年9月完成)など、海を渡る大型橋りょうが多くあって、近代的な港の風景に彩りを添えている

ポートアイランドと市街地を結ぶ真紅の神戸大橋は45年4月に開通した (写真はアーチ部分のドッキングエ事、44年9月)

完成したポートターミナルと開通間近の神戸大橋(45年)

神戸大橋の完成を祝う渡り初め式

埋め立て部分はさらに広がり、次第に躍動感が盛り上がってきた(48年)

埋め立てはほぼ完了 港湾施設のほとんどが完成し、島内では施設建設のつち音が響く(54年)

7月

海面に白く輝くように陸地が姿を現わす。コンテナバース第1号が早くも完成(45年)

ポートアイランドのコンテナバース使用開始
9月

カーフェリーボートの需要の高まりに対応し、いち早く建設された東神戸フェリーセンター(45年)

東神戸フェリーセンター完成
モータリゼーションの発達に伴い、貨物や人を乗せたままの自動車を船に積んで輪送する自動車航送船(カーフェリーボート)の需要が高まった。このため、神戸市では飛行場にヒントを得て、神戸港を起点に九州・四国・東京方面などへ就航するすべての航路を一括して受け入れることにし、この公共フェリーセンターを建設した。センターには、可動橋を備えた4つの岸壁と広い駐車場、待合所、事務室などがあり、今では1日20数便が就航してトラックや旅客でにぎわっている
昭和46年 3月 1971年 神戸市電全線廃止
5月 神戸港から最後の南米移住船出港。神戸移住センター閉鎖
第1回神戸まつり開催
この年 神戸港の輸出入総貨物量1億d突破(全国第1位)
神戸市の人口130万人突破
昭和47年 4月 1972年 神戸港荷役62時間全面スト、開港以来のまひ
8月 瀬戸内海環境保全知事・市長船上会議開く
9月 日中国交回復
12月

昭和45年、第7防波堤建設に着手(昭和57年に港湾区域内竣工)。
昭和47年、六甲アイランド建設に着工(昭和65年度完成予定)。
昭和49年、第6南防波堤建設に着手(昭和57年に竣工)。

六甲アイランドの建設着工
ポートアイランドの1.3倍、580fの第2の海上都市・六甲アイランドは、65年度の埋め立ての完成を目指して建設が進められている。既に、コンテナふ頭・フェリーふ頭などの港湾施設が稼動しているほか、その周辺の用地では倉庫や食品関連企業など52社が進出を決定、24社が操業を開始している。近代的な港湾を整備し、新しい産業を育て、市民生活の基盤づくりを進めるとともに、ハイテク文化都市の実現が、利用計画の大きな柱になっている
昭和48年 2月 1973年 ミラノに神戸貿易事務所開設
6月 神戸・天津市が友好都市提携(中国の都市との友好提携は世界初)
8月 北区誕生、9区制となる
この年 須磨海岸養浜事業を本格実施
昭和49年 6月 1974年 神戸・リガ市が姉妹都市提携
9月 神戸港湾職業訓練センターオープン
昭和49年 この年 神戸港の世界主要港に占める順位が総取扱貨物量・雑貨量は3位と2位、コンテナ貨物量は1位となる
昭和50年 3月 1975年 「クイーンエリザベスU世号」初入港
昭和51年 4月 1976年 須磨海づり公園オープン
5月 ポートアイランド北公園完成(中公園は52年10月、南公園は57年4月完成)
昭和52年 3月 1977年 市営地下鉄新長田〜名谷開通
大倉山〜新長田は58年6月、新神戸〜大倉山、名谷〜学園都市は60年6月にそれぞれ開通、また学園都市〜西神中央は62年3月開通の予定
6月 神戸港ロンドン事務所開設
11月 ハーバー・ハイウェイ(ポートアイランド〜摩耶埠頭)東行き開通(西行きは54年9月開通)
この年 異人館ブーム
昭和54年 3月 1979年 須磨ヨットハーバー全面完成(収容300隻)
昭和55年 2月 1980年

六甲アイランド使用開始。重量物ふ頭で稼動した重量物クレーン(55年)

六甲アイランド使用開始
8月 神戸・天津港が友好港提携
12月 中央区発足(生田・葺合区が合区)、8区制となる
昭和56年 2月 1981年 新交通システム「ポートライナー」開業
3月 神戸国際会議場・国際展示場オープン

「新しい海の文化都市の創造」をメインテーマに、56年3月20日から9月15日まで、180日間にわたってポートアイランドで開かれた神戸ポートアイランド博覧会(ポートピア'81)の会場。博覧会の成功によってもたらされたもろもろの波及効果は計り知れないほど大きい

神戸ポートアイランド博覧会(ポートピア'81)開幕。3月20日〜9月15日、180日間
展示館32(国内27・国外5)、出展参加者683人(国内631人・外国52人)、総入場者1,610余万人(うち外国からの入場者20万人)。国際条約によらない地方博としては、規模・内容ともに類のない見事な博覧会として内外から高い評価を受けた
昭和57年 6月 1982年 神戸沖空港計画試案発表
8月 西区発足、再び9区制となる
昭和58年 8月 1983年 港湾幹線道路(六甲〜高羽東行き)開通
昭和59年 3月 1984年 神戸市が天津港の拡充、整備に技術協力
この年 神戸市の人口140万人突破
昭和60年 2月 1985年 六甲アイランドの大型コンテナバース(第1・第2号)完成
5月 ユニバーシアードフェスティバル開幕
7月 日中フェリー「鑒真」営業初入港
神戸・ブリズベーン市が姉妹都市提携
花と緑の博覧会「コウベグリーンエキスポ'85」開催
7月21日〜11月4日、神戸総合運動公園で。入場者は221万4千人余に達した
8月 ユニバーシアード神戸大会開催
8月24日〜9月4日。106ヵ国、4,352人の選手・役員が参加、史上最大の学生オリンピックとなった。大会には、「ユニタン募金」により発展途上国からも48力国が参加した
10月 神戸ハーバーランド整備事業着工
昭和61年 4月 1986年 明石海峡大橋起工式挙行
9月 '89フェスピック神戸大会の開催決定
フェスピック(極東・南太平洋身体障害者スポーツ大会)の第5回大会は64年秋、神戸で開かれることになった
新交通六甲アイランド線着工
10月 アジアセンター国際交流サロン開所
開港120年祭大綱決定
神戸開港120年を記念して、62年春と夏に、メリケンパークを主会場に祭典を開き、コンサートやバザール、展示会などのイべントを行う
神戸・フィラデルフィア市が経済・文化協力協定を締結
写真
朝日に光る神戸の中心街(中央区北野町の高台から望む)
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