144号表紙

No.144(昭和59年9月)

特集:

文化財探訪

太山寺仁王門(重要文化財)。様式は和様で、柱はすべて円柱、木部は全体素地である。昭和26年から28年にかけて保存修理工事が行われた。室町時代中期

文化財探訪
守り育てたい文化環境保存区域

 神戸市内には、神社や寺などを中心とする文化環境保存区域が八か所あります。これらの区域は、私たちの身近な場所にあり、ふるさとの歴史に深くかかわってきた建物や遺跡、美術館などの文化施設を、まわりの自然も含めて一諸に守り育てていくために市の環境条例に基いて定められたところです。
 文化財は、祖先から受け継がれてきた歴史を伝える大切な文化遺産です。市内には現在、国宝四件、重要文化財一三五件、県指定重要文化財三九件がありますが、今回は文化環境保存地城を中心に、それぞれの文化財や、自然ととけあった周辺の環境に目を向けてみました。

太山寺(たいさんじ)とそのまわり

 鎌倉時代から室町時代にかけて非常に栄えた寺で、現存の建築、絵画、彫刻、古文書、工芸品など重要文化財が多いことは県下の社寺では第一である。なかでも本堂は国宝に指定されており、県下の古建築中、規模の大きさや様式の壮重さにおいて屈指といわれる。境内は広く、周囲は原生林(10・95ヘクタール、県指定天然記念物)がよくしげり、四季ともに自然のおもむきに富んでいる。原生林は、トキワガキなどの珍種を含めて約百六十種の植物が自生し、六甲山系の代表的植物生態を保存する樹林帯である。
(交通)西区伊川谷町前開。市営地下鉄名谷駅・国鉄明石駅から市バス太山寺下車、歩いて五分。

  • 写真太山寺本堂(国宝)。弘安8年(1285)の勧進帳によれば、同年2月に本本堂、鐘楼、丈六堂などが炎上したという。本堂の再建についての確証はないが、少なくとも1300年頃には完工していたとみられている。鎌倉時代後期
  • 写真境内と原生林の間を流れる伊川に架かる橋。原生林の湿った山腹谷間にはシイノキが最も多く、次いでカシ類が多い。乾いた斜面にはウバメガシを主とする樹林が繁茂している
  • 写真絹本著色白衣観音像(太山寺蔵、重要文化財)。観音は右を向いて岩上に半跏(はんか)に座り、その目は合掌する小童子に向けられている。その衣が白いところから、白衣観音像と呼ばれている。朝鮮高麗、109.2×56.7cm
  • 写真本堂の回廊から、原生林をバックにした三重塔を写生する人たち
  • 写真昔ながらの静かなたたずまいをみせる太山寺塔中

八幡(はちまん)神社とそのまわり

 土地の人は六條八幡神社と言い、樹齢八百年をこえる老杉が三重塔(重要文化財)をかこむようにしげっている。神社の近くを流れる山田川沿いの東西の街道は、昔は西国街道の裏街道としての役割をはたしていた。このため古くから文化が流入し、現在それらが歴史的遺産として川に沿って点在している。神社の中に三重塔があるのは珍しいが、それだけこの地に文化を取り入れる土壌があったと言えるだろう。
(交通)北区山川町中字宮ノ片。神戸電鉄箕谷駅から市バス山田小学校前下車、歩いて十分。

  • 写真元徳3年(1331)に神社に奉納された太鼓(胴中央の直径60センチ、高さ55センチ)。今も神社の祭りに使用されている
  • 写真本殿横に立つ、高さ20メートルをこす大いちょう。樹齢約500年と伝えられている
  • 写真八幡神社三重塔(重要文化財)。文正元年(1466)3月の建立であることが、棟札によってわかる。桧皮葺(ひわだぶき)で、全体の姿態が整い、屋根のそりも流麗で相輪・仏壇も素朴ながら精巧である。室町時代後期
  • 写真秋の訪れを告げる八幡神社前の菊畑

徳光院(とっこういん)とそのまわり

 この寺は布引のハイキングコースに近い静かな林の中にある。特に新緑のころはくすの木の若葉が目を楽しませてくれる。本堂の前にある有名な多宝塔(重要文化財)は、多宝如来を安置するための塔婆で、もと垂水区名谷の明王寺境内にあったのを明治三十三年、川崎家が譲り受け、布引山ろくの邸内に移し、昭和十三年再びこれを菩提寺徳光院へ移した。境内の高い木立ちのあいだに夏季林間学校ができたこともあったそうだが今もせみしぐれのなかから、子供たちのうれしそうな歓声が聞こえてくるようである。
(交通)中央区葺合町布引山二丁目。新幹線新神戸駅北歩いて十分。

  • 写真布引のハイキングコースにある休憩所。このすぐ左手から徳光院の境内につながっている
  • 写真せみしぐれの絶えない境内
  • 写真徳光院本堂
  • 写真徳光院多宝塔(重要文化財)。木組の一部に文明5年(1473)、および文明10年(1478)の墨書銘がある。細部は和様を基調としているが、一部には唐様がみられる。室町時代後期
  • 写真木造持国天立像(左)、木造増長天立像(右)(ともに県指定重要有形文化財)。持国天(東方)・増長天(南方)は、広目天(西方)・多聞天(北方)とともに四天王と呼ばれ、四方を守る護法神とされている。像高は持国天77センチ、増長天84センチ。手法はまったく同一で、ずんぐりした表現であるが、体躯は引き締まり、量感も豊かである。平安時代中期
  • 写真

白鶴美術館とそのまわり

 住吉川の上流、上人山(しょうにんやま)のふもとの景勝地にある。建物は青銅屋根の和様二階建で、中庭には六甲から流れてくる清流を利用して池をつくり、中央には東大寺大仏殿前の天平の燈籠と同じ形をした模品が置かれている。美術鑑賞の疲れをいやしてくれることだろう。所蔵品は白鶴酒造七代目嘉納治兵衛の長年の収集で、逸品約五百点、国宝・重要文化財も多く、特に中国の古銅器類は世界に誇るコレクションである九月十五日(土)から十月十四日(日)まで「白鶴美術館開館五十周年記念展・東洋の美」を開催中。
(交通)東灘区住吉山手六丁目。阪神御影駅から市バス白鶴美術館下車。

  • 写真賢愚経残巻(けんぐうきょうざんかん)(大聖武)(白鶴美術館蔵、国宝)、賢愚経は賢者と愚者の比喩を論じた経巻である。1行11〜13字の大字経で、筆使いは豊艶で雄渾である。聖武天皇筆とされているが確証はない。奈良時代
  • 写真宋白地黒掻落竜文瓶(そうはくじくろかきおとしりゅうもんへい)(白鶴美術館蔵、重要文化財)。口が細く、くびが短く、肩が広く、下部の方が細くなる器形の瓶を梅瓶と呼ぶ。白の化粧土の上に黒釉をかけ、その黒釉をかき落してあざやかな白と黒の対比を見せて龍文を浮きだたせている。宋時代、高さ40、9センチ
  • 写真美術館の中庭
  • 写真住吉川の清流と青銅屋根の白鶴美術館

石峯寺(しゃくぶじ)とそのまわり

 この付近は酒造米の代表的銘柄である山田錦の産地としても知られ、寺に至る道の両側にそれらの田畑が起伏ある景観を形づくっている。寺の記録では、鎌倉時代の盛時には四十七の塔頭や支院を数えたとある。今は三院ほどしかないが、そんな盛時をしのばせるのが本堂東にある三重塔(重要文化財)である。昭和二十九年に解体修理して朱塗りとしたので、緑の樹木を背景に一段と美しさを加えている。境内は広くて景観に富み、深い木立のそこかしこに石仏や石碑が立っている。
(交通)北区淡河町神影。神戸電鉄道場南口から神姫バス野瀬下車。北西歩いて三十五分。

  • 写真石峯寺の仁王門。門を入ると本堂までまっすぐの道が続く
  • 写真寺の入口にある鐘楼。今は鐘は入っていない
  • 写真 石峯寺薬師堂(重要文化財)。内部は内陣・外陣にわかれていて、和様を基調として天竺様をあしらう折衷様式になっている。室町時代後期
  • 写真石峯寺三重塔(重要文化財)。和様の三重塔婆。塔の高さは24.4メートルあり、国宝または重要文化財の三重塔のうちでは高いものの一つである。室町時代中期
  • 写真石造五輪塔(県指定重要有形文化財)。墓地入口の左手にあり、総高一・九メートル、南北朝時代
  • 写真今も淡紅色のかれんな花を咲かせる本堂前のさるすべりの古木

福祥寺(ふくしょうじ)(須磨寺)とそのまわり

 一般には須磨寺の名で知られているが、正しい名は福祥寺。明治の中ごろ、寺有地二百アールを遊園として信者たちが千本の桜を植え、近くの大池周辺の桜とともに名所となって花見時には人出でにぎわった。その景勝は見られなくなったが今も境内は緑ゆたかである。本堂内の宮殿(くうでん)及び仏壇(重要文化財)は製作年代が明瞭である上、仏壇は唐様と和様の異色の折衷様式で類例が少ない。また同寺では、昭和四十年に須磨琴保存会を結成し、その再興と保存にあたっている。同五十一年、県指定重要無形文化財保持者に指定された。
(交通)須磨区須磨寺町四丁目。山陽電鉄須磨寺駅北へ歩いて十分。

  • 写真こんもりとした山をバックに立つ福祥寺本堂
  • 写真

    寺の山門

    写真須磨の大池
  • 写真福祥寺本堂内宮殿及び仏壇(重要文化財)。仏像安置用の小建築模型で宮殿をかたどったものである。同寺の日記「当山暦代」(県指定重要有形文化財)によれば、応安元年(1368)式部法橋長賢によって製作されたとある。南北朝時代
  • 写真木造十一面観音立像(重要文化財)。像高84センチの小振りながら、端整な眼鼻立ち、引き締まった口元など、精巧な技法で彫られている。鎌倉時代
  • 写真木造不動明王立像(県指定重要有形文化財)。像高97センチ、法印康俊作応安2年(1369)の銘がある。康俊は興福寺大仏師で、遠く九州の造像にもあたっている。南北朝時代
  • 写真このほど完成した福祥寺三重塔。寺の開創1100年記念事業として再建工事がすすめられていたもので、10月6、7日の両日落慶法要が行われる
  • 写真石造十三重塔(県指定重要有形文化財)。総高5.24メートル。軸部四方には月輪を大きく刻み、内に金剛界四仏の種子を深く彫っている。鎌倉時代後期
  • 写真境内にある子規句碑〈暁や白帆過ぎ行く蚊帳の外〉
  • 写真大井広歌碑〈明滅のひかりをおくる灯台は いづこにあらむ寂しき海はら〉

無動寺(むどうじ)・若王子(にゃくおうじ)神社とそのまわり

 古跡や重要な文化財を数多く伝えている北区山田町の中でもこの寺は有名で、本堂に重要文化財の仏像が五体も安置されているのは珍しい。広い境内は樹木がよくしげり、同じく重要文化財で境内西の一段高いところに祭られている若王子神社本殿への参道など、境内をそぞろ歩きするだけで心の洗われる思いがする。この本殿は、普通の社殿をひとまわり小さくした模型のような社殿だが、細部まで精巧に作られており、五百年以上も昔の技法の研究にとって貴重な資料である。
(交通)北区山田町福地。神戸電鉄箕谷駅から市バス福地下車、北へ歩いて十五分。

  • 写真
  • 無動寺の本堂に安置されている重要文化財の仏像。一か所に重要文化財の仏像が五体も安置されているのは珍しい。写真左から木造釈迦如来坐像、木造十一面観音立像、木造大日如来坐像、木造不動明王坐像、木造阿弥陀如来坐像。
     大日如来(像高二・六九メートル)の両脇侍にあたる釈迦如来(一・二〇一メートル)と阿弥陀如来(一・一八五メートル)はともに一本造りで、なかでも釈迦如来像は一段とすぐれた作風を示している。本尊の大日如来像は、巨大な像で県下にも類例がない。この三尊像の前に立つ十一面観音像(一・五〇三メートル)は、ゆたかな気品と意力に満ちた相好が特徴。不動明王像(〇・八四メートル)は、比較的温和な面相にあらわされている
  • 写真ひっそりとした参道
  • 写真重要文化財の五尊像とともに本堂にまつられている木造阿弥陀如来坐像(県指定重要有形文化財)
  • 写真

    無動寺本堂

    写真若王子神社本殿(重要文化財)。永仁5年(1297)と応永15年(1408)の棟札があり、永仁5年の建物を応永に新営されたものとみられている。手狭(たばさみ)の彫刻はきわめて精巧である。室町時代前期
  • 写真若王寺神社近くのほこら道
  • 写真若王子神社裏手から丹生・帝釈連山を望む

如意寺(にょいじ)とそのまわり

 市バス谷口の停留所に、板に重要文化財如意寺と書いた小さな看板が立っている。その看板の方向へ田んぼの横の道を行くと、山門を過ぎるあたりから前方に三重塔が見えてくる。寺を訪れると、正面向かって右手にひときわ大きく縁の高い建物がある。これが文殊堂で、傾斜地にあるため南面は特に縁が高く、こんな構造になったのだろう。境内に入ると、この文殊堂の正面、二段高い場所にかつては本堂があり、本堂の前面に、三重塔と阿弥陀堂が左右に並ぶ天台伽藍配置となっている。この三棟がともに重要文化財で、周囲の静けさも加わってさすがに歴史の重みに圧倒される。
(交通)西区櫨谷町谷口。国鉄明石駅から市バス谷ロ下車、歩いて十五分。

  • 写真文殊堂内の厨子(ずし)に安置されている文殊菩薩像
  • 写真

    稲穂のかなたにそびえる如意寺の堂塔

    写真如意寺文殊堂(重要文化財)。傾斜地にあるため南西は縁が高く、楼造りのように見える。室町時代中期
  • 写真如意寺阿弥陀堂(重要文化財)。この建物は常行三昧(ざんまい)を修業する道場とみられ、それからいえばむしろ常行堂と言える。屋根は銅板葺入母屋造りで上品な姿をしている。鎌倉時代前期
  • 写真室町期の古い宝篋印塔と如意寺三重塔(重要文化財)。塔は、天保2年(1831)以降は修理改造のあとがなく、松材を多く用いているのに保存は良好で、全体の姿態もよく整っている。南北朝時代
  • 写真阿弥陀堂にまつられている阿弥陀像。堂と同時代の作とみられている
写真
夕暮れの如意寺
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