116号表紙

No.116(昭和57年5月)

特集:

史跡散歩道 北神

史跡散歩道 北神 新緑に包まれた中村八幡神社の三重塔。どっしりした存在感に圧倒されてしまいます
 

山田の里から藍那へ
"ふるさと"へ帰ってきたような気持
漫画家 丘 あつし

 山田の里が好き。仕事場にとじこもる日が続いたり、ビルや地下街など季節感のほとんどない場所ばかり動く日が重なったりして息苦しくなったとき、いつの間にか神戸電鉄に乗ってしまっていることがある。箕谷駅で降りて西へぶらぶら。ツクシ、桜、菜の花、チョウチョ、レンゲ、せせらぎ、稲の穂、トンボ、紅葉…四季それぞれの歓迎を受けて歩いていると、住んだこともないのに"ふるさと"へ帰ってきたような気がする。
 天彦根(あまつひこね)神社境内の農村歌舞伎舞台。数年前に焼失したが、地元の人たちの熱意が実って再建されたと聞く。入母屋(いりもや)造りのカヤ葺き屋根が貫禄。皿回し式回り舞台もあるという。じっとながめていると昔の人たちの拍手が聞こえてきそう。ただ残念なことに、現在ではこの舞台があまり使われることがない。芝居などが上演されてこそ舞台は生きてくるはず。アングラ劇など意外に似合うかも知れない。いや神さんがびっくり仰天するかな。
 青葉台団地へ渡る橋のたもとから、ガキノノドヘおりてみる。西国街道の裏街道でもとくに難所といわれていた場所。ほとんど人が通らなくなっているので草がおい茂り、渡たしてある丸木の橋もぬるぬる。「皮靴はいてきてしもた。こらあかん」
 無動寺の本堂の前で弁当を広げる。新緑に包まれた方形の本堂は落ち着いたたたずまい。本尊の大日如来や釈迦如来、阿弥陀如来はいずれも大きな座像で重文。藤原期のものとか。境内の西側にある若王子(じゃくおうじ)神社は、朽ちかけた小さな社殿だが、細部にほどこされた彫刻がみごと。このあたりは秋の紅葉がとりわけすばらしい。
 山田の里のもうひとつの魅力は歴史が古いせいで、伝説や伝承が多いこと。無動寺の参道そばにある「新兵衛石」にまつわる話もそのひとつ。
 今から三百年ほどむかし。このあたりに領地を持つ殿様の行列がやってきました。すると道のそばにある石のかげからひとりの少年が走り寄って「お殿様、お願いがございます!」。直訴は討ち首、すぐ家来たちに取り押さえられてしまいました。
 しかし不審に思った殿様が少年にわけを問いただすと
 「私たちの村はなん年も続く不作で困っています。重い年貢をなんとかしてほしいとお役所にお願いしても聞き届けてはもらえません。このままでは飢え死にするばかり。村の衆の苦しみを見かねて直訴してしまいました。私の命はどうなってもかまいません。どうか村の衆をお助けください」
 少年の心根にうたれた殿様は、年貢を軽くしただけでなく、少年の罪も許してやりました。その少年の名が村上新兵衛。
 中村八幡神社の三重の塔のどっしりした存在感にはいつも圧倒されてしまう。そばのイチョウが黄金色になると、そのたたずまいは一枚の絵だ。
 平清盛が福原にいたとき、比叡山になぞらえて日吉山権現をまつったといわれる丹生山を見上げる田んぼの中に燈ろうがひとつ。源義経を鵯越に案内したといわれる鷲尾一族の屋敷跡である。ここまで来て乗りやすい私は「そうだ義経がたどった道があるはず。昭和の貴公子といわれる余も、いざ歩いてみん」と思い立った。畑仕事をしていた人に尋ねると「藍那まで一時間や。ワラビでも採りながら行くとええ」。
 この道がもうけものだった。ワラビこそ時期が過ぎてなかったけれど、まるで軽井沢あたりの高原を歩いているような(ホントは行ったことがないから知らないが)気にさせる静かな山越えの道。義経もここをハミングしながら通ったかしらん。
 なお、この日わざわざ歓迎に出張ってくれた"季節の使者"はヘビが二匹。カメラマンが顔に似合わない声で「キャー!」。

  • 下谷上農村歌舞伎舞台下谷上農村歌舞伎舞台。アングラ劇なんかも意外と似合うかも知れません
  • 新兵衛石田んぼの中にぽつんとある新兵衛石
  • 成道寺境内古い五輪塔のある成道寺境内。外にはのどかな原野(はらの)の村落が広がって見えます
  • ガキノノドガキノノド。古くは西国街道の裏街道でした
  • 鷲尾家屋敷跡鷲尾家屋敷跡。ここから見る丹生・帝釈山系と、そのすそに広がる田園風景は心がゆたかになるようないい眺めでした
  • 中村八幡神社の名木いちょう中村八幡神社の名木いちょう
  • 中村八幡神社鳥居越しに見た中村八幡神社
  • 無動寺本堂重要文化財の仏さまがたくさんまつられている無動寺本堂
  • 若王子神社若王子神社。朽ちかけた小さな社殿ですが、これも重要文化財です
  • 山田川ゆったりと流れる山田川。写真左の山が稚子ケ墓山です
  • 丹生・帝釈山をバックにした静かな田園風景丹生・帝釈山をバックにした静かな田園風景
  • 無動寺参道いつ行っても、人の気配すら感じさせない無動寺参道
  • 藍那の里に近づくと、急に山合いに田畑が広がって見えました藍那の里に近づくと、急に山合いに田畑が広がって見えました。しい一んと、静けさがいっそう身にしみました
  • 尾根道山田から藍那へ抜ける気持のよい尾根道。天気がよすぎて暑かったくらいです
  • この杉の木立を抜けると藍那はもうすぐですこの杉の木立を抜けると藍那はもうすぐです
  • 藍那の里風格のある藍那の里のたたずまい。火の見やぐらと家々の屋根が印象的でした
  • 鎌倉峡野花が咲きこぼれる鎌倉峡

市の最北部道場周遊
にわかモデルになって恐縮、恐縮…
写真家 筆本 浩正

  • 地図
  • 有馬川沿いの静かな土手道有馬川沿いの静かな土手道。あー、いい気持だなぁ
  • 農家その堂々たる農家のたたずまいにこちらはただうっとり…
  • 塩田八幡神社の石燈ろう整然と並んだ塩田八幡神社の石燈ろう
  • 絵馬を見ていると庶民の願いがよくわかる絵馬を見ていると庶民の願いがよくわかる
  • 有馬川に向けて思わずパチリきょうはカメラのシャッターは押すまいと決めていたのに、有馬川に向けて思わずパチリ
  • 百丈岩そそり立つ百丈岩
  • 百丈岩で岩登り?百丈岩で岩登り?とんでもありません。鉄クサリが張ってあるので、ちょっと遊んでみただけで…
  • 青石古墳青石古墳。ひやーとした風がホオをなぜ、いい気持ではありません
  • 雨乞地蔵さんかわいい頭巾をかぶった雨乞地蔵さん
  • 正福寺の境内正福寺の境内
  • 道場の古い家並み道場の古い家並み。筆屋さんの前に、たくさん竹軸がたばねてありました
  • 善福寺の山門しだれ桜で有名な善福寺の山門。満開の頃ならもっと美しかったことでしょう

有馬周遊
湯けむり有馬に歴史をしのぶ
異人館ガール 酒井 智子

  • 有馬周遊 地図
  • 有馬三石の一つ有馬三石の一つ"袂石"
  • 有馬温泉郷落葉山から望む有馬温泉郷。美しい新緑にすっぽりと包まれていました
  • 天狗岩天狗岩
  • 虫地獄気味の悪い虫地獄
  • 湯泉神社湯泉神社。この境内で毎年奉納相撲が行われます
  • 鼓ヶ滝公園を流れるせせらぎ鼓ヶ滝公園を流れるせせらぎ。新緑の木の葉も水もきらきらと輝いて、まばゆいばかりです
  • 湯泉神社への石段湯泉神社への石段
  • 有馬は坂や石段の多い町です有馬は坂や石段の多い町です。そのあちこちに古い道標がひっそりと立っています
  • 炭酸温泉ホテル跡の公園炭酸温泉ホテル跡の公園(炭酸泉源広場)にある井戸。炭酸水がこんこんと湧きでていました
  • 御所泉源湯煙が勢いよくあがっている御所泉源
  • 念仏寺有馬で一番古いといわれる念仏寺
  • 極楽寺豊太閤ゆかりの湯跡のある極楽寺
  • 瑞宝寺跡の山門瑞宝寺跡の山門。コケむした石段に映える木漏れ日がきれいでした
  • 石峯寺三重塔暮れなずむ夕日に映える石峯寺三重塔。この塔を、こんな時刻に見るのは初めてです

淡河八幡神社から石峯寺へ
淡河の里は、大きな謎を秘めていた
鈴蘭台高校教諭 森栗 茂一

淡河八幡神社から石峯寺へ 地図足の便の悪いのが難点。神戸電鉄の三田か三木から神姫バス三田・三木線を利用する。ほぼ1時間に1本運行している。
 蓮華草が畦(あぜ)を包み、つつじが山麓を色どる春。光る風に誘われて、遅桜の美しい淡河の里を歩いた。
 なんと、神戸市内に、あの昔話しに出てくるような萱を葺きたての家々が点在していた。草笛を吹き下校する少年も、鋤(すき)持つ爺さんも春の日差しにとけこんでいた。
 伝説に、淡河はその昔、湖であったという。その湖を干拓したのが朝鮮からやってきた渡来人である。
 さらに興味深いことには、後述の石峯寺の古文書の 『徴考録』によれば、大蛇が地蔵菩薩を携え、近江より、丹波国桑田郡を経て、石峯寺に現れたという。時に、インドより石峯寺にやってきていた法道仙人が、孝徳天皇に伝え、勅願をいただいた。法道仙人は、白雉2(六五一)年、自ら地蔵菩薩を彫った。本堂右の池に、その大蛇を沈め、蛇ケ淵と伝えているという。
 そういえば、垂水区押部谷の近江(きんこう)寺(114号掲戴)でも、近江の湖中に浮かぶ霊木を使って、法道仙人が観音像を彫ったという。近江(おうみ)は淡湖(アワコ)で淡河(オウゴ)に通じ、近江寺と淡河をむすぶ中間の丹生山田にも小河(オウゴ)がある。
 朝鮮といい、近江といい、古来より外部と結びつきの深い淡河の里には、有名な寺社が多い。
 淡河八幡神社は、仁平年間(一一五一〜三)の創建で、2月17日に御弓神事(県無形文化財)がある。当番の青年が、「鬼」と書いた的を射る。神社を出て、万代橋から、御弓練習場をみながら西へすすむ。
 淡河の南に、淡河城跡がある。その名も大手橋という小橋を渡り急坂を上ると城跡である。今は田畑となっているが、三の丸跡に、地主神として稲荷社が祀ってある。
 淡河は城下町であった。元和の一国一城令(一六一五年)で廃城となった。淡河城下町で売られる「豊助まんじゅう」は、甘さをおさえた城下町らしい味わいである。
 町内の村上本陣跡には、西国三十三力所巡礼者による供養のための道標がある。「湯之山越」と書かれてある。湯之山越とは、有馬・淡河を経由する西国街道の裏街道である。
 ここより北上すると、淡河疎水の水道橋をくぐる。降水の少ない東播の村々に、命の水をひいている疎水である。
 さらに北上すると、刀工兼国館跡に至る。東隣の八多町にも、刀工三条小鍛冶宗近屋敷跡と称する所がある。八多から淡河にかけては、製鉄遺跡が多く、山中では今でも、鉄くそを手にすることができる。淡河山中の土層には、赤色の鉄分を多く認めることができる。こうした産鉄地帯に、刀工の伝承地があるのは興味深い。
 北僧尾の村に入ると、日本最古といわれる農村舞台〔安永6(一七七七)年の墨書あり〕がある。最近改修され、西脇の播州歌舞伎を招いた。これを「買い芝居」というが、昔は、村人が自ら演じたものであった。こうした農村舞台は、北神には多いが、これほど落ちついた美しさを持つ舞台は少ない。境内に立つだけで、農村の人々の息づかいを感じる舞台である。
 淡河地方の、近世における芸能の流行は、南僧尾観音堂入口の「鶴沢太夫の碑」から察することができる。太夫は、義太夫節をこの地方に広めたという。  同観音堂の五輪レリーフ塔も、室町期を下らないと思われる。必見であろう。
 近くの厳島神社も美しい萱葺であるが、9月13日、中世の流れをひく獅子舞がでる。境内には「水道通水記念樹 昭和57年4月11日」と札を付した苗木が植えてある。
 淡河に水道がついたのは最近のことである。そういえば、あちこちで井戸と、その脇に水神の石祠をみかけた。水のありがたさを再認識させられた。
 南下して、淡河川疎水取入口を経て大蔵神社に至る。崩れた土塀の向うに萱葺の神殿をながめるのも楽しい。境内には、寛政10(一七九八)年の石燈ろうがある。
 山道は北上して、先述した延命地蔵を祀る石峯寺に至る。山門を入ると、72坊あったという坊跡は、わずかに十輪院、竹林寺を残すのみで田野と化しているが、境内の三重塔は、朱色鮮やかで、神戸の室生寺といった感がある。
 なぜ、深い山里に、このような高い文化が息づいていたのか。淡河の里は、大きな謎を秘めていた。

  • 淡河八幡神社毎年2月17日に御弓神事が行われる淡河八幡神社
  • 淡河川淡河八幡神社の横をゆっくりと流れる淡河川
  • 歳田神社歳田神社
  • 村上本陣跡にある道標村上本陣跡にある道標
  • 淡河城跡淡河城跡に立つ石碑
  • できるだけ地元の人たちに話しかけるよう心がけていますこの種の調査旅行に出るたびに、できるだけ地元の人たちに話しかけるよう心がけています。人々はみな純朴で、親切で、知っていることは何でも教えてくれます(南僧尾で)
  • 刀工兼国館跡の碑刀工兼国館跡の碑。八多から淡河にかけて製鉄遺跡が多い
  • 南僧尾観音堂歴史を感じさせる南僧尾観音堂。入口に「鶴沢太夫の碑」がある
  • 厳島神社美しいカヤ葺きの厳島神社
  • 淡河川の疎水取入口淡河川の疎水取入口
  • 淡河疎水東播の村々に命の水をひいている淡河疎水
  • 大蔵神社大蔵神社。厳島神社と同じようなカヤ葺きの社で、くずれかけた土塀がひときわ静かなふんい気をただよわせていた
  • 石峯寺境内の新緑心が洗われるような石峯寺境内の新緑
  • 石峯寺の山門を後に…予定のコースを歩き終え、満ちたりた気分で石峯寺の山門を後に…
  • 北僧尾農村歌舞伎舞台堂々とした北僧尾農村歌舞伎舞台。しかし戸を締め切っていると、さる3月末、この舞台で20数年ぶりに歌舞伎が演じられた時のようなはなやかさはない
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