115号表紙

No.115(昭和57年4月)

特集:

市立南蛮美術館のあゆみ

市立南蛮美術館のあゆみ 熊内町の自宅で美術品に見入る池長さん(昭和25年11月、59歳)

南蛮美術に生涯をかけた池長さん

世相に対する不満の結晶

池長さんの最後の写真池長さんの最後の写真(昭和30年6月、岡本の自宅の庭で)
 「私が相当無理をしてまでも、こんな美術館を開いて一般社会に公開したのは何のためであるか。これは決して物好きではありませぬ」という書き出しで、池長さんはその著「南蛮堂要録」(昭和15年池長美術館刊)の中で、美術館設立の動機を次のように述べている。時には比論調に、時には情熱をほとばしらせ、いかにも池長さんらしい文なである。
 親譲りの身代をなげうって南蛮美術を集め、美術館を建て、そっくりこれを神戸市に委譲して世を去った池長 孟(はじめ)さん。池長さんが建てたなごりの市立南蛮美術館(中央区熊内町1)は三月末で閉館となり、今秋11月にオープンする市立博物館に移されることになった。新しい博物館では、保存と展示にいっそう工夫がこらされ、また列品解説や新資料の収集にも力を入れて、より充実したコレクションとして市民に親しまれることになるだろう。
 美術館設立の動機を述べた中で「一体いつの時代になったら、こんな事がわかるのでしょう」と、当時の世相に向かって警鐘を乱打した池長さんは、今どんな思いで、今日の世相を見ておられるのだろうか―。


 私があまり豊かでもない身の程をも顧みもせず、相当無理をしてまでもこんな美術館を開いて一般社会に公開したのは何のためであるか。これは決して物好きではありませぬ。私の蒐集品を死蔵させるのを惜んで、その楽しみを頒つためであるのはもちろんの話ですが、単にそれだけの理由でもありません。そこにはもっと深い大きなところに私の気持がはたらいているのです。私は、現代社会に対してかなり不満を持っている。あるいは、もっと強く反感といってもいいでしょう。この美術館を開いたのも、その反感の結晶であるともいえます。

文化施設の欠陥への抗議

 神戸のような国際大都市にして、美術館の一つも持たないということは、国民教養の程度も察せられて大きな国辱である。たとえいかなる高位高官でも、博識碩学でも、富豪長者でも、名画を見てその美にうたれないような人物は下劣浅薄ではありませんか。決して尊敬には値しない。大都会でも美術館を持たないようなのは、女が盛装して帯もしめていないようなもので、だらしがなく、品位がありませぬ。
 私は最初神戸と名ざししましたが、これは郷土愛のために特に憎まれ口をたたいたので、日本では他の都市に出かけても大同小異です。たとえ美術館の建物はあっても、内容もないものは無きに等しいではありませんか。日本は世界でも優れた芸術国です。我々の祖先は、数多くの芸術的偉業を遺されています。然るにこの頃の世間のザマはどうですか。芸術家と自ら称するの徒は、俗悪なる民衆に媚びて、売名にあせり、黄金を求め、ジャーナリズムに駆使されて、低劣に低劣にとなりさがってゆく。こんなことでよいのでしょうか。芸術とは決して娯楽とか趣味とか道楽とかいったようなつまらぬものではない。実に、国民の魂を最も高いところへ引き上げるべき大使命を帯びたものでなければなりますまい。
 世間では教育といえば、学校、学校という。すべて教育は、学校に任しきって安閑としている。しかし学校がどれほどの教育ができるというのですか。よしや学校で理想的な教育ができるにしても、学校教育よりさらにもっと重要なのは社会教育ではありませんか。親爺教育の方が大切だ。それも智の教育よりも心の教養でなければなりますまい。私が文化施設というのは、つまりこの方面の社会教育機関で、美術館などもその一役をつとめるものであります。

歪められた美術鑑賞の訂正

 私は、芸術的実物と歴史的実物とに、画然たる区別をなすべしとの意見を持つ者です。豊太閣の書簡などは全然美術品ではなく、ただ歴史的な価値を有するのみであります。そんなら芸術品とは何ぞやといいますと、七むつかしい議論は知らないが、私の素人考えでは、「作者が美を表現する事を主たる目的として製作されたものである」といえましよう。そして美の表現力が強いものほど、立派な芸術品であります。
 世間には、好きでもなく、わかりもせぬくせにお金儲けのために美術品を買う人が多い。こんなのは必ず欲の間違いで大損するのはわかりきった事だが、そればかりでなく、これは実に美術を冒涜するものです。お金儲けがしたいなら、不動産か株でも買って下さい。たとえ自分の物ではなくとも、名品を拝見する歓喜は、金銭にはかえ難いものではありませんか。
 大体、美術を鑑賞するのに、人がよいというから、よいのだろうというような、あやふやな考えではいけない。たとえ世間で何と言おうとも自分の目にはこれがよいのだといった強いところがなければならい。もちろん美術品に限らず、一朝一夕に苦労も勉強もせずにそんなによいものが解るはずはない。殊に高い芸術品が理解できるまで行きつくには、幾つもの階段をのぼって、日だけではなく自分の人格までが、そこまで行きつかねばなりませぬ。しかし世人には美術鑑賞の目を養うにもその機会がない。だから、美術館などで啓蒙的施設を充分しなければならないのです。心を空しくして、純真な気持で美術を鑑賞すれば必ずその心眼が開かれるものです。
 ただ自分のみを信頼して、充分鑑定眼を養って下さい。そして純真な気持で真剣に美術を愛し尊んで下さい。それでこそ、数等高いところの人生を楽しむ事ができるのであります。

池長 孟(はじめ)氏
●明治24年、神戸市兵庫に生まる。入江小を経て神戸一中、三高、京都帝大法科卒業
●大正7年、神戸市会下山に植物研究所開設、牧野富太郎氏を神戸に迎える
●同11年、世界各国を巡遊
●同12〜昭和17年、育英商業 校主兼校長
●昭和15年、葺合区(現中央区)熊内町一丁目に池長美術館設立
●同23年、第一回兵庫県文化賞受賞
●同26年、美術館及び所蔵南蛮美術を神戸市に委譲
●同30年、死去
〔著書〕「邦彩蛮華大宝鑑」「戯曲集狂い咲き」「荒っ削りの魂」「開国秘譚」「南蛮堂要録」など

富豪の考慮を望む

 つらつら世間を見るに、お金儲けの上手は随分沢山いるが、お金つかいの名人はあまり見当らぬ。馬鹿げた金つかいはヘボの骨頂である。同じ絵の具もつかい手によって千古不朽の名作ともなれば、反古にも役だたぬ邪魔物となる。同じ一万円の金も数百億円の効果をあらわす事もあれば、溝の塵どころでなく世間に害毒を流す事もある。
 実業家がたとえ営利事業であるにしても、国家産業のために、あるいは世人を利するために資本を投ぜらるるは尊敬すべきであります。また事変以来献金に巨万の財を支出する人があるのは喜ばしい事です。最も憎むべきことは、遺産に徒食したり、私利私欲にのみ耽って何ら公共事業に出資する事もなく、酒色にのみ濫費する徒輩であります。楽しみをもっと高いところに求めて殊に衆人とこれを頒つべきではありませんか。一体、財産などというものは決して自分のものではない。国家社会から一時預かっているに過ぎない。ただ一時でも預けられた幸福を自覚して、三宝の御恩に報謝する途を講じなければならないと思うのです。
 金は儲けるにしても、つかうにしても、苦心の度合が大きいほど楽しみもあり、その結果が輝いてくるのであります。美術に関していえば、富豪には門外不出の多くの名品を死蔵されている向も多く、中には保存方法の極めて不完全なのもあります。時には狭い限界で自慢をされる事もあるが、そんなケチくさい事でなく、もっと広く天下に大なる自慢をしてもらいたい。博物館に寄託されるもよし、個人的になり、共有になり、もっと美術館もつくって公開して下さるよう熱望する次第であります。

美術館経営に対する異議

 日本人は何かといえば、形式ばかりに走って、内容がゼロであるのは、実に遺憾な事であります。某市の美術館など建物ばかりで、美術品を所蔵しておらぬ。あれはただの「館」であって「美術館」ではない。あんな、だだっ広い建物を建てる半分の金ででもどうして中味の美術品を先に買わないのか、実に不可思議千万であります。
 日本の美術館も、この頃はだんだん体裁も整えて来ますが、外国の油絵など買ってみたところで、伊太利や仏蘭西の美術館などにとても対抗出来るものではありませぬ。そんな外国のものより肝腎な日本の宝物を一体どうするつもりなのです。たとえば、浮世絵は世界的な誇りとすべき日本製品でありながら、日本の美術館では見られないで、これを見ようと思えばボストンの博物館にでも行かなければならないとは、さてもさても複雑怪奇な事です。こんな事をいくら叫んでも分からない。一体いつの時代になったら気がつくのでしょう。気がついた時分には品物はありませんよ。
 最後に、美術館の陣列がまずくって不親切である事を一言述べさせて下さい。美術館は指導機関で何の知識もない人にもよく分かるように、懇切丁寧に説明をしなければならない。それでこそ美術館の中を通り越したら、何かしら賢こくなったようで興味も津々たるものがあるのです。官僚式独善ではたまらない。
 美術館がただよいものを雑然と並べただけではその使命を果したものとはいえますまい。馬鹿はいつまでも馬鹿で居れ!では、われわれ馬鹿は浮ぶ瀬もないではありませんか。
(「南蛮堂要録」から抜粋、要約)

  • 設立当時の池長美術館を訪れた有名人の揮毫設立当時の池長美術館を訪れた有名人の揮毫(ごう))。上は川西英氏昭和15年4月5日)、下は石黒敬七氏(昭和16年4月18日)
  • 池長さんが友人に出したハガキ池長さんが友人に出したハガキ。テレビ出演のことをわざわざ知らせておきながら、決して見るべからずと書き加えている(昭和29年)
泰西王侯騎馬図屏風「泰西王侯騎馬図屏風」四曲一隻 重要文化財
カトリック教国と回教国の王侯を躍動的に描いた南蛮美術の代表的作品。
  • 泰西王侯騎馬図屏風 「庸船之図〈板元〉針屋」
    この船は、鳥にその形をとって造られているところから"鳥船"と呼ばれる。唐船によって運ばれた品は、磁器、布、木綿、薬種などであった。
  • 小田野直武筆 解体新書扉図「小田野直武筆 解体新書扉図」
    解体新書は日本最初の西洋医学書(解剖書)。秋田藩小田野直武は、原書の銅版画を毛筆で精細に模写し、木版にした。
  • 阿蘭陀人之図〈板元〉針屋「阿蘭陀人之図〈板元〉針屋」
    長崎版画のなかでは最も古い時期のもの。異国人の生き生きしだようすが描かれ、長崎絵のなかでも特にすぐれた作品であるといえる。
  • 織川信長像「織川信長像」重要文化財
    大正10年6月2日に本能寺でうたれた信長の一周忌を前にして描かれたもの。
  • 聖フランシスコ・ザビエル像「聖フランシスコ・ザビエル像」
    日本に初めてキリスト教を伝えたザビエルを泥絵風に描いた作品。
  • 平賀源内筆 西洋婦人図「平賀源内筆 西洋婦人図」
    多芸多彩な平賀源内がのこした唯一の油絵。源内は秋田や江戸で洋画運動をおこした。
  • 狩野内膳筆 南蛮屏風「狩野内膳筆 南蛮屏風」六曲一双
    南蛮人渡来のありさまを描いた桃山時代のエキゾチックな風俗画。
  • 「池長コレクション名品展」でにぎわう市立南蛮美術館の館内「池長コレクション名品展」でにぎわう市立南蛮美術館の館内。同館は3月末で閉館、本年11月オープンする市立博物館で、より充実したコレクションとして再び市民にお目見えする
  • 司馬江漢筆 樹下紅毛女図「司馬江漢筆 樹下紅毛女図」(異国風景人物図)
    江漢は蘭学を学んで洋画法を会得し、その写実技法に心酔し多くの洋風画作品を描いた。
  • 司馬江漢筆 埠頭紅毛男図「司馬江漢筆 埠頭紅毛男図」(異国風景人物図)
  • 新しい南蛮美術館の入り口新しい南蛮美術館の入り口。看板の字は池長さんの長男澄(きよし)氏の筆
  • 南蛮美術館のある博物館西面の新築部分南蛮美術館のある博物館西面の新築部分
  • ステンドグラスが美しく映える南蛮美術館前のロビーステンドグラスが美しく映える南蛮美術館前のロビー
  • 天井も高く、壮観な感じのする南蛮美術館展示室天井も高く、壮観な感じのする南蛮美術館展示室
  • 重厚な市立博物館の外観重厚な市立博物館の外観
世界地図及び四ヶ国都市図屏風
世界地図及び四ヶ国都市図屏風
南蛮美術「世界地図及び四ヶ国都市図屏風」 八曲一双
世界への関心がたかまった桃山時代の作品で、舶載の地図や都市図をもとにして描かれた。都市図(下)は左からリスボン、セビリヤ、ロ−マ、コンスタンチノーブル。
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