84号表紙

No.84(昭和54年9月)

特集:

海岸線を行く(下)

海岸線を行く(下) 修理中の和田岬の燈台ごしに見る港内

海岸線を行く(下)

修理中の和田岬の燈台ごしに見る港内

  • のんびりと港内を行く筏(いかだ)
  • 今は貯木場として利用されている兵庫運河
  • 進水式を終えたばかりの新造船
  • 何隻ものタグボートに押されて造船所入りする巨大船
  • タンカーが羊の輸送船に衣替え

  • 西日本の旅客船の玄関口である中突堤。
    港の象徴でもあるポートタワーは、いつ見てもスマート

  • 一直線にのびるポートアイランド南防波堤
  • 東南アジアを中心とした航路で活気のある兵庫突堤
  • 通船の発着場として、市民に親しまれているメリケン波止場
  • コンテナーをうず高く積み上げたコンテナー船
  • 広大なポートアイランドのコンテナーバース

躍動する港の活気


神戸大橋を行きかうコンテナートラック

 和田岬のハナを回り込むようにして港内に入ると、三菱と川崎の二大造船所にはさまれて兵庫突堤があり、その基部から西へ兵庫運河が伸びている。この運河は、明治のころ小舟で和田岬を回るのが危険だったため運河をひらき、兵庫運河株式会社という会社をつくって入船料を取った。当初は大いに喜ばれ、のちのちまで繁盛するだろうと思われていたが、みるみる船が大型化し、岬を回るのにさして苦労がなくなったため、今は主に貯木場として利用されている。

古い歴史を秘めた兵庫突堤

 三菱、川崎の両造船所は、ともに二十万トン級の船が建造できるわが国有数の造船所で、一つの港でこんな造船所を二つも持っているのは珍しいそうである。この造船所の特徴は、ここのドックを出た新造船や修理船がそのまま港から航海に出られる点で、遠くの造船所から回送してこなくてもいいということで以前から修繕船が多い。
 むかし平清盛がつくった兵庫の津(港)は、今の中央卸売市場のある中之島あたりである。それが明治に入るまで大いに栄えたが、慶応三年、アメリカやイギリスなど五ヵ国から開港をせまられた幕府は、こんな兵庫の町を外国人が歩いて万一のことがあってはと、兵庫に比べると一僻村にすぎなかった東の神戸村に開港場所を指定、その後は急速に港の中心は東へ移ってしまった。それでも、東南アジアを中心とする航路で今もにぎわっており、特に第三突堤はつい最近まで全国のバナナ基地として大いに活躍した。
 市章山をバックにした中突堤のポートタワーはいつ見ても美しい。中突堤は、西日本のいわば旅客船の玄関口として、淡路、四国、九州への観光船がひんぱんに出人りする。このほか沖縄航路や港めぐり遊覧船もここから出ており、普通の貨物突堤とはまた違った、気分まで明るくなるような突堤の情緒がここにはある。


中国船の専用ふ頭・新港第一突堤

 隣のメリケン波止場も、突堤の規模よりむしろその名前で市民に親しまれている所である。港内のタグボートや通船のたまり場として相変らずにぎやかである。
 そしてこれから東が新港突堤である。西の一突からポートターミナルのある四突までは、明治三十九年から大正十二年にかけての第一期修築工事でつくられた。そして六突まで出来たところで戦争になり、戦後は長らく進駐軍に接収されていたが、その代替の施設として七突、八突をつくったのに続き、昭和三十年代に入って、日本の経済が大いに繁栄したため、急きょ輸出中心の大ふ頭の建設が計画された。これが現在、非常にカラフルな上屋風景をみせている摩耶ふ頭である。

遠い思い出"山、海へ行く…"

 同時に、神戸市では西部と東部の埋立工事にも本格的に着手した。今、巨大なサイロや石油タンクが立ち並ぶ東部埋立工区の沖から北を望むと、山の緑にかこまれた鶴甲団地、渦ケ森団地が手にとるように見える。どちらも埋立て用に山を切りひらいたあと建てられたもので、"山、海へ行く"と世界的な関心を集めた当時が、もう遠いむかしのことのように思い出されてくる。
 ちょうどそのころ、世界の海運界をゆるがすような輸送革命のきざしが、徐々に、しかも恐ろしいほどの力強さですすんでいた。コンテナー船の出現である。コンテナー船自体は昭和三十六年ごろからアメリカで走りはじめていたが、これが初めて極東航路に配船されたのは四十二年である。この輸送革命を必至とみた神戸市では急きょ摩耶ふ頭の第四突堤をコンテナーターミナルに切り替え、さらに着工まもないポートアイランドにも広大なコンテナーヤードをつくった。

あふれる時代の先どり精神

 そして、四十三年にはアメリカのシーランド社がいち早くポートアイランドに立地、これを契機にコンテナーバースがふえ、さらにはこれがコンテナー貨物を呼ぶ形でますますコンテナー化に拍車がかかった。今や神戸港は世界一のコンテナー港に発達したが、もとはといえば、輸送革命のきざしを的確につかみ、瞬時のためらいもなくこれに対処したことが勝負の決め手になったわけである。
 その隣りの六甲アイランドでは。埋立ての土砂を積んだダンプカーが砂煙をあげて疾走していた。今から約十年後にはポートアイランドより三割方大きいこの島が、ポートアイランド同様、また新しい市民の夢を盛り込める場所として出現することだろう。
 東神戸フェリーふ頭の沖合には、スマートな大型フェリーが数隻沖待ちしていた。フェリー輸送は車をそのまま船に積んで目的地まで運ぶ、いわば道路の一環のような考え方で昭和四十年ごろから始まったものだが、非常に特殊な船だけにはじめ運輸省などは、船会社が自分たちで私設の岸壁をつくりなさいという指導方針だった。それを神戸市が初めてここに公共のフェリーターミナルをつくったため、船会社は船だけもってくればいいことになり、その後爆発的にフェリー会社がふえたという経緯がある。これも、神戸港が伝統的に受け継いだ、時代の先どり精神の現れということだろう。

  • 摩耶山がひときわくっきりと…
  • 港内のカラー作戦で一段とカラフルになった
    摩耶ふ頭
  • コンテナートラックが行きかう港湾幹線道路
    "ハーバー・ハイウェイ"
  • 東部第2工区のサイロ群
  • 六甲山をバックにひろがる石油タンク
  • 芦屋との市境から東部第4工区を望む
  • 沖待ちする大型フェリー

  • 長距離フェリーから下船するトラック(東神戸フェリーふ頭)
  • 砂煙をあげて埋立て用の土砂を運搬するダンプカー(六甲アイランド)

    六甲大橋

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