75号表紙

No.75(昭和53年12月)

特集:

続 神戸の建物(上)

続・神戸の建物(上) 神戸銀行協会。戦後、旧居留地内に建った最初の美術建築で、1階の南面の柱にトラバーチン(イタリア産の大理石)を使った壁面構成に特徴がみられる(生田区江戸町、昭和25年建設)

続 神戸の建物(上)

続・神戸の建物(上) 神戸銀行協会。戦後、旧居留地内に建った最初の美術建築で、1階の南面の柱にトラバーチン(イタリア産の大理石)を使った壁面構成に特徴がみられる(生田区江戸町、昭和25年建設)

新しい都市像を形成


神戸外大図書館。回廊をかねた深いひさしが
建物の二面にめぐらされている(灘区土山町、昭和三十二年)

 激しかった第二次世界大戦の戦火の後、神戸の多くの建築は、手痛い程の打撃を受けた。旧市街地の大半は、あの劫火(ごうか)の下に焼かれ、営々と築きあげてきた懐かしい多くの建物を破壊し去ったのである。
 焼土と化した神戸の都心部、旧居留地や海岸通、商店街や山手の住宅地は、昔日の面影を失ってしまった。
 復興は容易なことではなかった。疲弊(ひへい)し切った国力の下で、その復興は遅々たるものであった。しかし、神戸の市民たちはこれに屈することはなかった。
 戦後30余年が経ち、いまわれわれは眼前に、新生神戸の表情をみることができる。建築物は都市の顔であり、都市はこれらの建築群によって性格づけられる。古い建物、新しい建築の混在しているなかで、今回は戦後30年余りの現代建築の歩みをたどってみよう。

(坂本 勝比古)


  • オリエンタルホテル。低層部分と高層部分とがうまくバランスされ、茶かっ色のタイルの色とともに、ゆとりのある空間を創り出している(生田区京町、昭和三十九年)
  • アメリカ総領事館。日本の伝統的様式や意匠が廻り縁や障子状の日除けに見受けられる(日本建築学会賞受賞、生田区加納町6、昭和31年)
  • 市庁舎正面。東西の壁面いっぱいにとりつけられた羽根状のルーバー(日除け)のリズミカルな構成が美しい(生田区加納町6、昭和32年)
  • 甲南女子大。六甲山ろくのゆるやかな南斜面を利用したキャンパスに意欲的な造形の校舎群が建ち並んでいる(第1回神戸市建築文化賞受賞、東灘区森北町、昭和39年)
  • 兵庫県庁舎。しぶい色調のタイルを張った庁舎建築(生田区下山手通、昭和39年)
  • 東灘区総合庁舎。コンクリートの打ちっぱなしと、白いかき落しの壁面がほどよい調和をみせている(東灘区住吉東町、昭和43年)

人々の心に未来への希望


県民会館。白亜の塔状の建物で、
近くの赤レンガ教会と好対照である
(生田区下山手通4 昭和43年)

敗戦から復興へ

 神戸は、昭和十四年に人口一〇〇万人を突破し、港湾を中心とした国際貿易都市として繁栄を続けたが、昭和二十年の三度にわたる空爆の被害を受け、その大半を失い八月の終戦を迎えることとなった。
 この年十一月の人口調査ではその数三十八万人余りと大幅に減少してしまっている。
 そして戦後の焼土のなかで、復興のつち音が響き始めた。焼跡に建ったバラックやヤミ市が戦後の風景として各所にみられることになった。昭和二十一年三月「神戸市復興基本計画要綱」が決まり、復興への第一歩が始まった。
 市民の住宅を確保するため、木造平家建の市営住宅の建築が行われたが、住宅難の解消にはほど遠いものがあった。
 そのようななかで、昭和二十三年には戦後初の鉄筋コンクリートの公営住宅が建設され、これは、今日のR・C(鉄筋コンクリート)造住宅建築のはしりとなった。
 また一般住宅も、昭和二十五年設立された住宅金融公庫の資金によって、個人住宅が建ち始めるようになった。

神戸博の開催

 戦後の貧しい人々のこころに、未来への希望をもたせたものは、昭和二十五年三月に開かれた「神戸博(日本貿易産業博覧会)」であった。この博覧会は現在の王子公園と湊川公園に繰り広げられたもので、序曲館に始まって世界館、資源館、通商館など多彩な建物が建ち、これには丹下健三や池辺暢、山口文象ら、のちに戦後の建築界で活躍する若い建築家たちが参加して、新しいデザイン感覚の建物をつくり、戦時中、敗戦後と、久しく暗い空気の下に育ってきた人々に明るさを与えた。
 戦後の復興は遅々たるものであったが、昭和二十五年勃発した朝鮮戦争によって特需が起こり、建設業界も刺激を受け活況を呈することとなった。また、アメリカとの関係が強まるにつれ、アメリカの進んだ施工技術や建築材料が導入され、戦中戦後の空白期を埋めることとなった。しかし、戦後の資材の不足もあって、機能的で合理的な建築が好まれ、工業主義の建築が主流を占めるようになった。特にR・C造の普及がその傾向を一層強め、屋根を平坦にし、四角い窓をあけた箱型の建築が流行した。
 戦後の物資の乏しい時代は、装飾を豊かに用いた建築を設計する機会は少なかった。
 そのなかで、神戸銀行協会(日建設計工務、昭和二十五年)の建物は、一階南面の柱に、当時としては珍しかったトラバーチン(イタリア産大理石)を用い、上品で繊細なデザインで、神戸における戦後最初の美術的建築として旧居留地内に建てられた。


神戸国際会館コンクリートの格子で構成しており、
市内で戦後最初の大劇場をもつ建物
(葺合区御幸通8、昭和31年)

高度成長期の発展

 昭和三十年代に入って最初のころ、神戸は現代建築についていくつかの見るべき作品を生んだ。東遊園地の南、もと神戸外人クラブの敷地跡に建ったアメリカ総領事館(ミノル・ヤマサキ設計、昭和三十一年)は、日本の伝統的な手法である細い柱、縁側や障子紙のルーバーを現代風にアレンジしたユニークなデザインで登場した。ミノル・ヤマサキはアメリカで活躍している日系二世の建築家で、この建物は昭和三十一年度の日本建築学会賞を受賞している。
 ついで神戸国際会館(竹中工務店、昭和三十一年)、神戸新聞会館(村野藤吾、昭和三十一年)が三宮に建った。国際会館は神戸で戦後最初の大劇場をもつ建物で、南面をコンクリート打放しのグリッド状(格子)で構成した美しい建物である。新聞会館は、芸術院会員である建築家村野藤吾の設計で、アズキ色の外壁とブルーの窓ガラスが現代建築のもつ魅力をよく表現していた。この建物は、三宮駅前広場に新しい景観を生んだが、後年増改築により旧観を失ったのが惜しまれる。

  • 県立子ども病院。南面にゆるやかな曲面をつけ、新しい団地のそばに建つ子ども病院としてのやわらかさをたくみに表現している(建設業会賞受賞、須磨区高倉台、昭和45年)
  • 小原流芸術参考館。複雑な地形をたくみに利用して、現代建築のもつ造形のおもしろさを表現している(第1回神戸市建築文化賞受賞、東灘区住吉山手4、昭和45年)

  • 甲南大学体育館。
    造形上おもしろさが見られる建物(東灘区岡本、昭和41年)

合理性と機能面を重視


(株)ワールド本社。曲面の美しさを高度に発揮した建物
(第1回神戸市建築文化準賞受賞、葺合区八幡通、昭和43年)

 昭和三十二年完成した神戸市庁舎(日建設計工務)は、南北に細長い建物で、議事堂棟と事務棟からなり、とくに事務棟の東西外壁全面に設けられた可動式ルーバー(日除け)は、当時の流行にのるものであった。これは、現代建築がもつ同じパターンのくり返しによるリズミカルな美しさを巧みに表現しているといってよい。  神戸市庁舎は、ちょうど三十年前後より始まる地方自治体の庁舎建築流行のなかでも、機能主義建築の特徴をよく示しており、丹下健三の東京都庁舎(昭和三十二年)、香川県庁舎とは違った意味で、注目される作品といえる。  これらの一座の作品は、神戸が戦後の荒廃から脱出して、新しい都市像の形成へ歩み出したことを示しており、歴史的にも重要な意味をもっているといってよい。  このような大規模な公共建築とは別に、私的な性格をもつ建築のなかにもいくつかの優れた作品がつくられた。御影の山手の斜面を巧みに利用して建てられた小原流家本会館、同芸術参考館(清家清、昭和三十七年〜四十五年)は、設計者の優れた造形感覚が表現されたもので、第一回神戸市建築文化賞を受賞している。

見事な空間の構成

 また小品であるが、塩野義製薬神戸分室(坂倉準三建築研究所、昭和三十七年)は、コンクリート打放しの可塑的な造形性を生かし、事務所建築でありながら、通則に堕することなくその個性を主張している。
 神戸の町には私立の学園が少なくないが、そのなかでも、幾つかの建物のなかにユニークな表現を見せるものがある。王子公園の近くに建つ神戸海星女子学院(昭和三十一年)は、建築家竹腰健造が一貫して手がけてきた建築で、鉄筋コンクリートの建築であるが、窓の構成にきめの細かいデザインがあり、全体として品格のある作風がみられる。
 また芦屋との境に近い山麓に建つ甲南女子大学は、そのキャンパスの建築群を村野藤吾のデザインでまとめている。大阪湾を一望に眺められるゆるやかな南斜面を利用して、見事な空間を構成している。この建物は昭和三十九年より数年かけて完成したもので、第一回神戸市建築文化賞を受賞した。
 神戸港中突堤に建ったポート・タワー(日建設計工務、昭和三十七年)も、建築学会賞、建設業協会賞を受賞した作品である。パイプを使い、一〇〇メートルの高さまでつづみ状の形態を伸ばしたユニークなデザインと、高度の技術の成果が受賞の理由となった。

単調な建築表現

 昭和四十年代に入って、昭和四十五年大阪で開催された万国博は戦後の高度経済成長期の最後の繁栄を示したものであった。
 現代建築の魅力は、コンクリートと鉄、ガラスを用いた機能主義や工業主義から出た(合理的なデザイン、単純、明快な構成、同じパターンの繰り返しによってリズミカルな美しさ、構造力学の進歩がもたらした大梁間空間への挑戦、鉄筋コンクリート造りのもつ可塑性の追求、多種にわたる建築材料の使用、高度に発達した設備、空間の多様性に求められる。
 しかしこのような近代建築がもつ合理性や機能面の重視は、一面建築の表現を単調なものとし、無機的な冷たさが逆に建築上の魅力を失わしめていることも見逃せない問題である。
(次号につづく)



  • 須磨女子高校。校舎の南全面にルーバー(日よけ)をつけ、外観を特徴付けている(須磨区板宿町、昭和34年)
  • 塩野義製薬神戸分室。コンクリートの打ちっぱなしの造形をいかした事務所建築(葺合区磯上通四、昭和三十七年)

  • ポートタワー。一〇〇メートルの高さまでつづみ状の
    形態をのばしたデザインが奇抜でおもしろい
    (建築学会、建設業協会賞受賞、生田区波止場町、昭和三十七年)

  • 神戸新聞会館。あずき色の外壁とヨコ線をいかした
    デザインが特徴(葺合区雲井通七、昭和三十一年)
  • 神戸海星女子学院。クリーム色の外壁に三連窓がつき、塔屋の上に立つマリアの像がいかにもカトリックの学園のふん囲気をかもしだしている
    (灘区青谷町、昭和三十一年)
  • 相楽園会館、市内の数少ない日本式庭園にのぞんで、ゆるやかな屋根と深いのきが日本建築のもつ伝統様式を表現している
    (生田区中山手通5、昭和37年)
  • 須磨離宮公園レストハウス。階段上のカスケード(滝)の中央に建ち、広々とした海の見える空間の中にほどよく調和している(須磨区離宮西町、昭和41年)
  • 万松園。六甲山麓の南斜面を上手に生かした集合住宅
    (第1回神戸市建築文化賞受賞、東灘区鴨子ヶ原1、昭和45年)
  • 市立中央体育館。大きな空間を支える架構と、巨大なコンクリートの壁面が重量感のある構成をみせている(生田区楠町、昭和40年)
  • 井植記念館。明石海峡ごしに淡路島を望む景勝の地に建っている。こじんまりと如何にもしょうしゃな建物(垂水区青山台、昭和四十五年)
  • 県立近代美術館。窓のないどっしりとした壁面が美術館としての
    造形を高めている(灘区原田通、昭和四十五年)

  • 市役所第三庁舎(旧栄ビル)せまい敷地を利用しながら、端整な壁面をみせる事務所建築。緑地も確保している
    (第一回神戸市建築文化準賞受賞、生田区江戸町、昭和四十年)

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