68号表紙

No.68(昭和53年5月)

特集:

「徳川道」を探る

解明された"幻の徳川道"

 攘夷か開国か、でゆれ動く幕末の混乱期。ついに兵庫開港に踏み切った幕府は、神戸の背山に、外国人とのトラブルを避けるための大迂回路をつくった。これが、世にいう「徳川道」である。
 しかし、幕府の衰運はすでにとどめるすべもなく、一ヵ月の突貫工事でこの道を完成した二日後、徳川幕府は崩壊した。そして、折角つくった徳川道は本来の目的のように一度も利用されないまま、神戸居留地そばの西国街道を通行した備前岡山藩士と外国人が衝突、神戸事件をひきおこしてしまった。まことに皮肉とも、残念とも、いいようのない事件である。
 こうして徳川道はまもなく廃道となったが、このたび、神戸市の「徳川道調査委員会」の調査によってこの道の全ぼうが解明された機会に、ご専門の三氏に集まっていただき、当時の時代背景やコース、工事内容などについて語ってもらった。


徳川道一覧図
徳川道一覧図

  • 西国街道の起点のすぐ北にある現在の石屋川橋。
    この橋の南側に土橋がつくられていた
  • 杣谷入口付近の飛石渡り
  • 杣谷へ入ると、すぐ左側の草むらに経文を彫った大きな石がある。昔ここに妙見堂があったといわれている
  • 徳川道の道筋中、最も難工事とされた杣(そま)谷の道。101間(約180メートル)にわたってガケの大岩が切り取られ、新しい道がつけられた
  • 杣谷峠。記録によると、山の尾根筋を高さ二間切り下げ峠道にした、とある

  • 現在のハイキングコース徳川道の入口

  • 徳川道のコースの途中にある石垣跡。
    古い道はこの石垣の上を通っていた
  • 摩耶山と徳川道の分岐点。この分岐点はかなり古くからあったらしく、新しい道標のそばに古い石の道標もある
  • 徳川道を下ってくると、トェンティクロス上流に出る。ここは桜谷への分岐点でもあり、当時、ぬくと川橋と呼ぶ一間半の土橋がかけられた
  • 新緑がまぶしい樹林帯の中の道。桜谷の分岐点から森林植物園へ下る道は背山ハイクのうちでも優秀なコースの一つ
  • マツの木の間にのびる明るい一本道
  • 昔のおもむきを残す森林植物園入口の飛石渡り
  • 徳川道が通っていた森林植物園の長谷池付近。今では四季の花が咲き、目をたのしませてくれる
  • 森林植物園の長谷池から北のドライブウェーへぬける道
  • 狼谷、小部峠、徳川道など五つの道があつまっている「五辻」。今も茶店に立ち寄る人は多い
  • 東小部の道のそばに立つ地蔵さん

  • 「右二(ふた)たび山 左まや山道」と彫った石の道標(東小部)
  • 代官所などのふれ状を張り出した昔の高札場跡。徳川道ができる以前からあったとみられている(東小部)

    神戸電鉄鈴蘭台駅北方の古道。当時、吉右衛門家がいまの神鉄線路敷にあって、ちょうどこの地点がその裏手になっていたので、徳川道に関する古文書にも「吉右衛門裏」という面白い名でしるされている(現在は北区山田町小部大歳馬場)
  • 昔の藍那村の川にかかっていた土橋の橋台の跡
  • 鈴蘭台のゆったりとした道をぬけて白川へ
  • コースの近くにひっそりと立つ御大典記念造林の碑

  • 古い村の向こうに新しい団地が林立する白川

  • 滑石を高さ2間、幅3間にわたって切り取った白川の道

  • 「左奥畑順礼道」の道標。徳川道を横切る格好で古い巡礼道がついていた

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