59号表紙

No.59(昭和52年7月)

特集:

グリーンこうべ(上)

グリーンこうべ(上) ー神戸の街路樹ー
 

量から質の向上めざす
街路樹管理会制度が発足

かろりなぽぷらの道(灘区薬師通)

 "わが町の街路樹の管理は、わたしたちにまかせて"という街路樹管理会第一号がこのほど誕生した。
この街路樹管理会制度は、十年ほど前から採用し成果をあげている市民公園管理会制度と同じように、街路樹周辺の清掃、除草、かん水、施肥などの手入れを、市にかわって住民に代行してもらう制度。申し出により市が認定した管理会には、助成金を出すことにしている。
神戸市では、昭和四十六年からグリーンこうべ作戦をスタートさせ、市街地の街路樹としてぷらたなす、いちょう、くすのきなどの高木約六万本、ひいらぎ、もくせい、さつき、つつじなどの低木約二百万本を植樹しているが、担当の職員だけでは十分な管理がしにくくなったため、市民の善意の協力を呼びかけることにした。
今後は、幅広い市民の協力を得ながら植樹を続ける一方で、さらに量から質の向上をめざす。なお、街路樹管理会第一号は兵庫区塚本通五・六丁目と七・八丁目両自治会、老人クラブ「大開ことぶき会」の三グループで、ユニークなみどりとレンガ道の"緑道"(国鉄兵庫駅前)の管理を担当する。

まちに緑 窓辺に花を
神戸市長 宮崎辰雄

ぷらたなすの続く山手幹線(生田区中山手通)

涼しそうな影をおとすねむの木(生田区トア・ロード)

ポートタワーとやなぎの並木(生田区花隈町)

生田川のさくら並木(葺合区)

彫刻のある街園(生田区下山手通6)

見事なさくらのトンネル(灘区高尾通)

かろりなぽぷらの並木道(須磨区大田町)

木は自然のままに

 近ごろはどんなまちでも、グリーンを大事に育てようということでやっていますが、行政の方針としてやはり神戸が違っていたと思うのは、いわゆる高度経済成長の始まった昭和三十五年ごろといえば、みんなの目が工場誘致、産業優先というものに向かって突走りだした時代なんです。
しかしその時でも神戸市は、産業優先の考え方があったと同時に、今いわれている公害とか環境破壊の問題が起きる可能性があるので、それを防ぐ手立てがいるということ。それから、心の問題が忘れられるようなことがあっては大変だということから、やはり緑を多くすべきだということを同時に考えた。これが、神戸の特徴じゃないかと私は思うんです。

心に結びつく緑化

 ですから、私が市域の七割を自然緑地にし、市街地の三割を緑化するという、いわゆる"三割緑化論"を唱えたのは十年以上も前になります。緑は、なんといっても人の心をなごませますね。交通の標識を見ても青は安心して渡れるゴーの信号だし、市民の連帯意識という面からも、人々は緑を中心にして集まり、緑を通じて語らいがはじまります。グリーン作戦とか、クリーン作戦は、いわば市民参加の一番しやすい手近な問題ではないでしょうか。
神戸市は下水道の伸び率も日本最高で世界的にも注目されていますが、これは生活現境を改善するという目標の最も中核をなすものではあるけれど、なれてしまうと、即心に結びつきません。その点、生活環境の改善にも役立ち、同時に心にも結びつくということでは、私は緑化が一番だと思うんです。
私がなぜ緑にひかれるかと言いますと、もともと山登りが好きだったことと、もう一つは、外国を見る機会に比較的めぐまれていたこともあります。市役所前に花時計を作ったのは、日本では神戸が最初ですが、これも私が外国で見て、こんな花時計が神戸にあれば楽しいだろうなぁと思い、帰って来てすぐに研究させ作らせたものです。
私より以前から外国旅行をしている人も、回数ではもっと多い人もたくさんいるだろうけど、私の場合は見たことをすぐに心の中に刻みこみ、それをなんとか神戸で再現してみたいと考えます。
たとえば、最近の街路樹を見てもらうとわかりますが、神戸では私が言いだして並木のせん定をやめています。これは、外国では街路樹を日本のように坊主にしないんです。みな自然のままに、伸びるにまかせています。担当者に聞くと、日本は台風が多いからというのがその理由で、それで台風がやってくる前に枝や葉っぱを落し、風雨に対する抵抗を少なくしていたわけです。
ところが考えてみると、木は生き物ですから、強い何かに耐えようとする場合は自然に抵抗力が出来るはずです。地中に根をはりめぐらして、木を支えようとするはずなんです。だから枝を切り、葉っぱをなくせば、それだけ風当りは少なくなるかも知れないけど、逆な見方をすれば、木を支える根っ子の力がそれだけ弱くなるのじゃないか。私はそんなことを考えて、台風がきてバ夕バ夕木が倒れてしまうことになるのか、ならないのか、試みにせん定をやめてみたらどうかと中止させたわけです。
そうしますと、かなりの風が吹いてもせん定をしなかったからという理由で別に倒れたりしない。せん定をしても、幹に当る風で時には倒れる木はありましたから、率からいえば同じようなものなんです。それなら、木はやはり自然のままに茂らせた方が気持がいいですよ。近ごろでは、電線にひっかかる枝があると、電力会社や電々公社の方で電線を被覆して守ってくれています。今までは電線はそのままで、木の枝を切ることばかりしていたということです。

緑は、育てるもの

 これからの夢は、人家の二階の窓から枝が入ってきたり、交通の標識が見えないというのでは困りますが、車道の方の枝はどんどん伸ばしていって、両側の木の枝がだんだん結ばれ木のトンネルになりはしないか。フランスのマルセイユはプラタナスが非常に美しいまちで、プラタナスのトンネルになっている所があちこちにあります。こんな光景が神戸にも随所にできて、その下を人が歩き、車が走るというようになれば実に楽しいと思うんです。
緑は人間が育てるものだと私が強く思ったのは、先人たちによる再度山の植林です。再度山は明治の初年のころはハゲ山でした。それを段切りにして明治三十年代から木を植えていったんですが、最初に植えたころと、大正年間と、それから現在と、植林の状態がひと目でわかる対比写真が残っています。私は十数年前に初めてこの写真を見て、こんな大きな六甲山でも立派な緑の山になったんだから、その気になれはどこでも緑化は出来るという感じを持ちました。
ドイツも非常に森の多い国で、まさに黒い森"というにふさわしい黒々とした森が何十キロと続いています。それで、これらの木が自然に茂ったものかどうか聞いてみたところ、「とんでもない。第一次大戦の時も、第二次大戦の時も、植林だけはずーっと続けてきましたよ」という返事でした。もちろん昔から自然の木もあったんでしようが、もともと緑の多いドイツのような国でも、緑化についてそれほど熱心だという話を聞いて、その息の長さ、愛着の深さに改めて感心しました。めぐまれた六甲の緑を大事に守るだけでなく、もっともっとふやしていかなければと思いますね。
神戸のグリーン作戦のいま一つの特徴は、私は、緑をふやすということの中には彫刻とか、花とか、それに噴水といったものをひっくるめて考えていることです。神戸文化ホールに通じる"みどりと彫刻の道"はその典型で、緑と別の点景を組合わせていった方がより楽しいまちになるのではないかと、その方にも力を入れています。グリーン作戦と並行して、彫刻や花壇や噴水も、随分ふえました。

楽しい路地の花壇

 そして、公園や目抜通りの緑化だけでなく、生活の場というか、まちのあちこちに花壇があり、彫刻がある。また路地へ入ると、ちょっとした空地に鉢を並べて花を植えています。これがよそとは違った神戸の良さで、まちの本当の楽しさというのは、こんなことではないかと私は思うんです。
東京にしても、大阪や名古屋にしても、確かに大きな公園はあります。しかし、それらのほとんどは昔の封建時代の大名が残したものなんです。神戸にはそんな殿さんはいません。明治初年の市街地の写真を見ると、生田の森がほんのちょっと黒いだけで、あとは何もない田んぼです。だから今あるのは神戸の市民がみんなで作ったものばかりです。この点は大いに謗りにしていいと思いますね。
あとは、各家庭の窓辺に花が咲きこぼれ、外から見ても楽しいというようになれば言うことはありませんね。窓辺の花を見ると、なごやかな家庭のふんい気が伝わってきます。公園や街路の緑化が相当進んで来たので、こんどは市民に協力をお願いして"窓辺に花を"の運動を進めてみたら、と思っています。神戸は、四季の花にめぐまれています。花の少ない冬でも葉ぼたんがあり、四季を通じて飾ろうと思えば飾れます。

人間都市の根本は緑

 ヨーロッパやアメリカでは、長い歴史があって、地域の中にとけ込んだわが家という観念が強いですね。日本のように、自分の家を構えてそれだけを守るというのとは違います。しかし、これだけ地域の連帯とか。公共性とかが言われ、それをみんなが自覚するようになったんですから、考え方も次第に変ってくるはずです。いかめしい塀をやめて生垣にするとか、庭に咲いたきれいな花をみんなに見てもらうとか、とにかくお互い大いに門戸を開きたいものです。
私は、人間都市の根本はやっぱり緑じゃないかとますますその意を強くしています。
(52・7・11談)

団地の街路樹

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