57号表紙

No.57(昭和52年5月)

特集:

神戸産業のあゆみ(上)

神戸産業のあゆみ 上 東遊園地にある"洋服発祥の地"の顕彰碑。洋服の型紙を造型化している
 港から、神戸は生まれた。わずか一一〇年前、街道わきの寒村だった神戸は今、一三六万人の大都市となっている。人間の途方もなく大きなエネルギーの所産といえよう。
 明治という近代の幕あけに、神戸はひらかれた。古代からの港町、兵庫の根強い伝統と、新開港場に集まった内外人との融合と反発のなかで、ハイカラ神戸が築かれた。それを"舶来の文化"だとする考えがある。しかし、海外からもたらされた情報と文化を的確に吸収し、新しいものをつくり上げたのは、まぎれもなく神戸に住む人たちである。
 私たちの「神戸」がいつ、何を生み、何を伸ばしたか。あすの神戸を考えるためにも、いま一度歩みを見直し、自信と展望を確かなものにしたい―。

神戸市の産業の歩み(上)

慶応3年(1867) 兵庫開港。運上所で開港式を行う(12・7)
4年 兵庫県設置、伊藤博文が初代知事に(5・23)
兵庫大阪居留地条約を結ぶ(6・19)
メリケン波止場できる(8月)(この9月8日に明治と改元
明治2年 牛メシ専門店「月下亭」開業
神戸で初めて写真館できる(森川為助)
オランダ商社アデリアンが神戸―上海間不定期航路開設
3年 東運上所の仮電信所〜大阪運上所間に電信開通(10・29)
九十九商会(岩崎弥太郎)が神戸〜高知間に航路開設
4年 加納宗七ら生田川付替工事に着手(3・10)
郵便役所開設(12月)
5年 茶の再製工場、11工場に
神戸東運上所を「神戸税関」と改称
6年 工部省。ツレジング商会の製鉄所を買収し、兵庫造船所と名付ける
神戸港の輸出、輸入額ともに全国の12%
7年 神戸―大阪間に鉄道開通(5・11)
外人居留地にガス灯ともる(11月)
8年 ウォルシュ兄弟、三宮で製紙会社「コウベ・ぺーパーミル」設立(9年操業)
9年  
明治10年(1877) 西南戦争勃発。神戸に運輸課が置かれ、発展のきっかけとなった
鈴木商店開業
11年 兵庫商法会議所(いまの神戸商工会議所)設立(10・14)
英人キルビー、小野浜に造船所を建設
12年 本多義知「明治社」を設立。マッチ製造に着手(4月)
13年 播磨幸七、石鹸製造を始める(わが国初の無水石鹸に成功)
滝川弁三、直木政之助らもマッチ製造に乗り出す
14年  
15年 居留地ホテル(後のオリエンタルホテル)開業
16年 神戸茶業組合設立
17年 神戸桟橋会社、小野浜に鉄道桟橋建設(11・5)
18年  
19年 川崎正蔵、兵庫造船所の払下げを受け川崎造船所と改称(4・28日)
樟脳、段通の工場できる
明治20年(1887)  
21年 湊川神社、相生橋に神戸で初めて電灯ともる(9・10)
私鉄山陽鉄道、兵庫―明石間開通(11・11)
22年 市町村制実施、人口134,704人の神戸市誕生(4・1)
兼松房治郎商店開設(8・15)
23年 日本最初の経済恐慌見舞う
24年 田村商会神戸店開業
25年 神戸港の輸入額、全国の40%に達する
26年 神戸電話局、業務を始める(3・25)
日本郵船、神戸―ボンベイ間(わが国初の遠洋定期)航路開設(11・7)
27年 日清戦争勃発
28年  
29年 神港倶楽部で日本で初めて活動写真(キネトスコープ)公開(11 ・25)
兵庫運河起工(32年12月竣工)
鐘紡兵庫工場開設(10月)
日本毛織株式会社設立(12月)
明治30年(1897) 神戸港の輸入額、全国の55%を占める
市水道起工(5・28)

市民生活にとけ込んだ"ハイカラ産業"

資料提供(敬称略)
荒尾親成▽柳田義一▽轡昭竹斎▽丸尾英一▽神戸新聞社▽国鉄大阪鉄道管理局▽日本燐寸工業会▽柴田音吉洋服店▽神戸洋服商工業協同組合

「神戸市産業歴史展」開催中
(センタープラザ15階、市立中小企業会館内)

開港神戸で最初に発刊された新聞

新聞論破 湊川濯餘(みなとがわたくよ)第一号、明治元年七月創刊。兵庫明親館の授講であった藤田績中(もりちか)が官許を得て発行した新聞で、神戸では最初の邦字新聞。しかし第二号で終刊した。

「兵庫隊」のかばん(火薬入りどうらん背負皮)

明治維新の政権交替の際、一時的に無政府状態になった。兵庫では豪商北風荘右衛門らの呼びかけで町民五十人が自衛のため市兵となって治安維持につとめた。

有馬湯山駅銭札

明治元年(慶応4年、1868)12月の発行。500文、20O文、100文、48文、12文の5種類がある。開港早々、有馬湯の町の町並みや道路を改修し、湯治客を呼ぶための工事費用に用いたらしい。

神戸開港金札

神戸開港に際し、幕府は大阪、神戸の富豪20余人の出資で商社会所を設け、慶応3年6月(1867)に1両札を、同年8月に2分札および1分札の3種を発行した。

兵庫県発行の銭札

明治元年12月に兵庫県が600文と200文の2種を発行。翌2年1月、1貫200文と300文の2種が発行されたが、翌3年6月通用停止となった。

神戸―上海航路日程表広告

明治2年、外人居留地四番館(現日本郵船神戸支店東)より出されたもので、米国のことを亜国と記している。海岸通りも"兵庫海岸通り"と記さないと、当時の神戸ではわかりにくかったようである。また神戸―上海間往路の6日に対して、帰路は5日と1日早くなっている。

北風荘右衛門の初相場表

兵庫第一の豪商、北風荘右衛門の年賀状とそれにそえた初相場表(明治初年)。中国米、加州米をはじめ庄内古米、南部大豆といかにも全国的な大商況のほどがしのばれる。

神戸外国人居留地

明治の初期、神戸のビジネスを一手に引き受けたのが外国人居留地。神戸の市街はここを中心に形成され、扇状に伸展した。今なお経済活動の中枢にあることを思えば、"神戸の原型"といって差支えないだろう。一区から一二六区まで、いわゆる商館の活動は神戸の初期貿易をうながす大きな力となった。明治六年二月、最終の競売が終った時点では、イギリス四六、ドイツ一九、オランダ一二、フランス一一、アメリカ十、イタリア一の計九九人。中国人については隣接する雑居地での活動を認めた。

地券発行

明治六年にはじめて土地の売買が許され、個人の土地所有権の確認証として地券が発行された。またこれによって地祖が課せられることになった。

ビードロの家

神戸開港に伴い、海軍繰練所あとに兵庫県運上所が建てられた。和洋折衷の建物にとりつけられた窓ガラスが光るところから、当時の人びとは「ビードロの家」と呼んだ。明治5年、運上所は税関と名前が変わった。(写真は明治7年ごろの税関庁舎)

兵庫商法会議所

明治11年11月、兵庫商法会議所(のちの神戸商工会議所)発足。初代会頭に兵庫の商人神田兵右衛門が選ばれた。以来神戸の産業をリードしてきた同会議所も間もなく100歳。その風雲の1世紀は神戸産業界の歩みそのものといえる。

神戸・大阪間鉄道開通

文明開化のさきがけとして神戸・大阪間に鉄道が開通したのは明治七年五月十一日。わが国最初の鉄道として明治五年十月十四日に開通した新橋・横浜間に次いで第二番目に建設されたものである。当時、機関車や客車はもちろん、鉄道の建設運転技術などはすべてイギリスからの輸入であり、その上、動力で不思議にも汽車が走るというので、弁当持ちでわざわざ駅舎や汽車見物に来る人たちが実に多かった。開通当時の阪神間の旅客乗降人員は一日わずかに二千人程度だったという。

ハイカラ商売

明治2年、元町の西端に牛肉店、「月下亭」開店。同4年、大井肉店が開店した。大井の建物は、いま愛知県の明治村に移築、保存されている。また同年3月、元町3丁目に市田写真館がお目見得。遅れて5年、平松徳兵衛が5丁目で開業した。欧風を反映してコーヒー、ビ一ル、洋品雑貨が順次出回る。=いずれも明治15年刊「豪商兵神湊之魁」から

茶の再製業

茶は神戸開港当初から重要輸出品の一つだった。明治四年、米国が茶の輸入税を廃止したので輸出はいっそう促進され、明治十年には神戸市内の工場数は十工場を数え、しかも年々ふえていった。こうして、一時はマッチ産業と覇を争ったこの企業も、明治三十五年をピークに頭打ちとなり、ついに神戸から姿を消した。

竹かご

初期貿易の輸出産業の一つに屏風と有馬の竹かごがあった。屏風の生産は明治二〇年代がピーク。竹かごは十年代に盛況を見、十六、七年ごろドイツ商館デラカンプ商会などが扱った。

神戸洋服

日本の近代洋服は神戸の外人居留地で発祥した。明治2年ごろイギリス人の2店が開業。10年代になって日本人にも洋服が普及し始めたことからその下請店が次々と出来た。日本人の独立店としては同16年、元町に柴田音吉商店が開店した。

洋風家具

明治16年、永田家具店(今の永田良介商店)開店。このイスは背中の支え木に「明治18年7月17日、兵庫福原町、天池徳兵衛」の銘がある。神戸の洋家具は明治40年代で確かな市場をつかんだ。

神戸人形

明治中期ごろから元町や布引滝の土産物店で売られ、外人客にも喜ばれていた。このころのものは名人芸といわれた小田太四郎氏作。

花ムシロ

花ムシロは明治14年に輸出が始まり、同20年には輸出額も3万3千円と伸びた。

鐘紡兵庫工場

明治二十九年設立。初代支配人は武藤山治で、その温情主義経営は関西紡績界の労務政策に大きな影響を与えた。

川崎造船所設立

明治19年、川崎正蔵が政府から兵庫造船所の払い下げを受け、川崎造船所をおこした。

兼松、田村の海外雄飛

明治二十四年、兼松房治郎がオーストラリアのシドニーに支店を開設、日豪貿易の前線基地を築いた。同年、田村新吉はカナダのバンクーバーに店を開き、日加交流の先兵となった。今の兼松江商と田村商会である。

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