24号表紙

No.24(昭和48年12月)

特集:

神戸の異人館(下)

神戸の異人館
 
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続々とビルの建てられて行く北野町一帯

異人館は失なわつつある都市の"個性"
坂本勝比古(日本建築学会会員、工学博士)

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ハッサム邸のガス灯

 明治六年、当時の兵庫県知事であった神田孝平は洋風建築の奨励について次ぎのように通達している。
 「自今建築致し候者は急度相心得清潔美麗に可致 普請就中身代有之者は可相成西洋風の家作致し候様可心掛」
 これから家を建てる者は清潔と美しさを心がけ、とりわけ金の有る者はなるべく西洋風の家を建築するように…と、開港以来、神戸市内の繁栄にともなう家作について洋風建物の建築を奨励しているわけだ。
 都市にとって必要なものは何か。それは、やはりそれぞれの地方に育った伝統的なまちの生い立ちを物語る遺産のもつ味わいをふリ返ってみることである。俗化し、失なわれた個性をとリ戻して、歴史の歩みを、訪れる人に問いかけるに足る歴史的建造物や遺産を再評価することであろう。
 異人館は今つぎつぎと失なわれつつある。それは時代の流れでもあり、やむを得ないことでもあろうが、そのなかでもすぐれた内容をもち、いかにも神戸らしい趣をもつ建物については市民の文化遺産として、大切に考えていきたいものである。
 広い庭、みどりに囲まれた異人館、かつて異邦人だった人々の哀歓を秘めて建つこれらの西洋館は、古きよき時代の回想の手だてとしてあるだけでなく、失なわれゆく都市における人間性ゆたかな環境を回復する重要なストック(蓄積)として、理解したいと思う。

異人館の日本住宅に与えた影響

 これは、開港にともないぞくぞくと建った異人館に見合う西洋風建物の建設の必要を意味するもので、神戸に建った日本人の住宅にもかなりの影響を与えたといえよう。ただ具体的な例は、戦災や建替えなどがあって適当な遺構が少ない。
 日本の近代住宅の発展過程のなかで、明治時代の富豪の建物は、洋館と日本館を併設させているのが常であった。そのご都市中流家庭の住宅に母屋は和風とし、応接間を洋間として付設させる方法も現われている。現在はほとんどみられないが、山手の日本人住宅に和風でありながら下見板を張った例や、よろい戸を用いたもの、あるいは応接間を洋風にした例などが見出せるのは、その影響のあったことを物語るものである。

異人館をどうすべきか

 ヨーロッパの都市へ行くと、それがたとえ小さなまちであっても、そこに建ち、またかって建てられた建築物の記録はかなりくわしく残され、語りつがれているという。そして訪れる人々には謗りをもって語りかけると聞いている。
 そのような考え方のなかから、自分たちの住むまちへの愛情や、あるいは過去の遺産を理解して、新しい発展をとげるための支えがつちかわれるのであろう。  話は変わるが、東京から時折り神戸を訪れるある青年がこんなことを語っていた。
 「神戸を訪れて、山手の西洋館と緑の山並みの六甲山をみると、ああ神戸に来たなという実感がする。神戸から北野町周辺などの異人館がもしなくなってしまったとしたら、もう神戸に来る気がしない…」
 この青年がいうように、異人館は長い風雪を経て、いまでは神戸のまちに欠かせない存在となっている。近ごろはどこの地方の都市を訪れても、どのまちにみられるような全く俗化した個性のない建築物や広告物がはんらんしている。

旧ブルム邸

 南面したベランダは開放されたままで、建築当初の面影をよくとどめている。建物の規模は小さく、主棟は中廊下をはさんで、一、二階とも左右に一部屋ずつしかない。角型の複柱にタテ溝がつき手すりの徳久利束やフランス風の窓は、素朴な、なかに異人館としてのふんい気を保っている。
 明治村に移されるまでは生田区山本通四丁目の道路から少し奥まった木々のなかに、ひっそりと建っていた。明治二十九年七月に買ったという届出があるだけで、建築主、設計者とも不明。木造二階建て日本瓦葺き、外壁は下見板張りオイルペンキ塗り。

KKノザワ(旧KK江商神戸支店)

 神戸市内に残る唯一の明治初期居留地の洋館で、外観、室内ともかなり改造されているが、それでも、開港当時の建築の面影をよくとどめている。明治六年ごろの建築と推定され、外国人建築家の指導で日本人工匠が施行したものといわれる。設計、施行者は不明。
 非常に古典的な玄関ホールの壁飾りや、また階段手すりと親柱はチーク材が用いられ、現在でもほとんどくるいがみられないし、その繰り型や工法は極めてすぐれており、神戸の洋館の当時の技術水準を物語っている。構造は本骨レンガ張壁造りで、柱、梁などの軸組の間に、一枚厚のレンガが積まれ壁体を形成している。このような構造形式は全国的に少なく、神戸では旧ハンター邸だけにこの工法がみられる。生田区浪花町十五。

東天閣

 大丸神戸店前から山手に通じるトア・ロードに沿って建っている。ベランダは道路に面し複柱式重層コロネード・ベランダで、現在のガラス建具は後補のもの。内部は玄関ホールや階段の腰に彫り模様で朝顔、あやめ、ぼたんなどを描いたパネルがあり、暖炉にもケヤキの飾り棚や花模様のタイルがついていてなかなかの趣きがある。明治27年の建築で建築主はF・ビショップ。設計者ガリバーについては、くわしくわからないが英人技師で神戸に住み、一生を終えたと伝えられている。
 木造二階建て日本瓦葺き、外壁は下見板張りオイルペンキ塗り。生田区山本通3丁目

旧ハッサム邸(重要文化財)

 明治二十五年の建築、この家を建てたハッサム氏はインド系の英国人で当時、居留地118番にあって貿易業を営み、綿花や米穀雑貨の輸出入で成功したという。建物の設計者ははっきりしないが、意匠の特徴などから、そのころ活躍していた英人建築家A・N・ハンセルだろうとみられている。
 建物は中廊下式の典型的な箱型プランで、南面してベランダがあり一、二階とも中央廊下をはさんで左右に各二室ずつ四室がある。外観の意匠、とくにベランダ回りにかなりこまやかな配慮がなされ、一階ベランダはアーケード風、また室内の出入口には三角形のペジメントがついている。主屋の壁面は張り出し窓によって変化をつけ、窓回りにも三角形のペジメント状の額縁があるほか上下窓、ヨロイ戸、下見板など、この種の洋館がもつ一般的な特色を備えている。
 木造二階建て、寄棟、日本瓦葺き、外壁は下見板張りオイルペンキ塗り。以前は生田区北野町二丁目にあったが、三十六年一月所有者の回教寺から市に寄贈されたのに続き、三十六年七月重要文化財に指定され、現在は市が解体、相楽園内に保存している。

残したい神戸の異人館

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