16号表紙

No.16(昭和48年3月)

特集:

神戸いまむかし(上)

神戸いまむかしー東神戸編

あすへつなぐよすが

「敬愛する親でも、いとおしい子どもでも、なくなったのちまで愛情をつなぐことのできるのは写真だ」ー。これは、川辺賢武さん(元神戸市史編集委員)が生前よく口にした言葉である。前進する神戸は、一方で古い町のおもかげを消し去っていく。
"神戸いまむかし"は単なる懐古ではなく、過去と現在と、さらには将来をつなぐよすがでもあるようだ。

写真・絵提供 荒尾親成氏、水谷吉晴氏、神戸新聞社
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現在の王子動物園全景

王子動物園の思い出
宮崎 辰雄

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 最初に王子公園ができたのは昭和十五年で、当時は、現在王子プールになっている所に元の護国神社があり、いまも動物園内にある老人憩いの家として使っている日本風の建物が王子神社(通称・原田神社)の元社務所である。
 昭和二十五年三月、戦後の荒廃沈滞した市民の士気を鼓舞したいということから王子公園を主会場にして"神戸博覧会"を開くことになり、二十四年春ごろから護国神社、王子神社の移転交渉をはじめた。

護国神社の移転

 特に護国神社については「神社を公園の域外に出し。しかも換地を与えてはいけない」と、"目の敵"にするGHQ側に対し、私は、国民感情からいってこの神社をつぶすわけにはいかないという強い気持があったため、兵庫県駐在米民生部にもあるていど顔を立て、神社側にも、実質的に相当な境内が移転後に確保できるようにするまで、ずいぶん苦労したものだ。王子神社の移転や、関西学院跡の赤レンガの建物に住んでいた戦災者の移住は比較的スムーズにはこんだ。

"百万円"の象

 ところで、いざ神戸博を開くことになると、何か"目玉"になる呼び物がほしい。当時、インドのネール首相から東京都へ贈られた象のインディラ嬢が全国的な話題をさらっていた。そこで少し前に開かれた金沢博の呼び物の象に目っこを入れ、二百万円で買い入れた。当時の二百万円といえば、その年の予算規模が五十余億円だから、いかに大金だったかわかる。しかし高い買物ではあったが。神戸博では大いに役立った。
 それだけではない。最初の象(マヤ子)を買った三か月ぐらいあとに二頭目の"スワ子"を買った。一頭だけで万一死なれたら大変だし、いま一つは、まだまだ象は稀少価値だったので象を買って経費を浮かそう、うまくいったら元をとってやろう、という目算もあった。
 これがうまく当って引っぱりダコならぬ"引っぱり象"でよくかせいでくれた。ちょっと思い出すだけでも、県下の姫路、明石をはじめ、鳴門、和歌山、岡崎市など、川原に囲いを造って象を入れ、料金をとって見せていた。十日間借して五万円とか十万円とか、とにかくよくかせいだ。

市中行進で前景気

 三十六年春、諏訪山動物園の王子移管が決まり、王子動物園は三月二十一日開園した。象以外の動物は開園前に王子へ運んだが、二頭の象は開園式の一つという形で、市中行進して大いに前景気をあおった。 (談・神戸市長)
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