7号表紙

No.7(昭和46年12月)

特集:

はたちの船

 神戸市が企画した「第一回はたちの船」は秋晴れの十月二十四日、ことしニ十歳になる市内の男女約千人を乗せて神戸港から往復約二百`の瀬戸内海を一周、船上での一日をすごした。成人式のような"形式"をはなれ、はたちの思い出として残してもらうとともに、未来をになう誇りや、市民としての連帯意識を広げてもらおうというねらいで、プログラムはすべて二十歳の代表と市内の各青少年団体が自主的に企画運営したのが特徴。
 市がチャーターした宮崎力−フェリー会社の「はいびすかす丸」(六、〇〇〇トン)の船内やデッキでは、宮崎市長らをかこむ講座とディスカッションや似顔絵、マジックコーナー、体力測定。また一方ではゴーゴー大会やフォークソング、バンド演奏、レクリエーション・スポーツなどがにぎやかに行なわれた。
 なお、日米市長・商工会議所会頭会議のため来日していたウイリアム・デビン元シアトル市長も飛び入り参加、「すばらしいアイディアだ!」とユーモアたっぷりに青年と話し合っていた。

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  • 写真 今 私たちは 新しい船出をこころみる 私たちは自らの未来にむかって

参加者の感想

「行事に参加することに一生懸命で、景色もあまリ見れなかった。でも楽しかった。同年代の人がどの程度自分と違っているのか、また似かよったことをしているかが、わかるような気がした」

「乗船時間が短かかったので、みんなの中に十分とけこめなかった。せめて午前九時半ぐらいに出航してくれれば…時間が早くすんだので、ちょっと仲よしになったと思ったらもう下船になって、ちょっぴりざんねん」

「参加員のスナップを撮り、後日展覧会的に発表し、希望者に譲ってほしい」

「私は学生で、ちょうど文化祭の時期とかさなり、参加する前はどうしようかと考えた。しかし若い人が集まり、文化祭と違っていろいろな人と話ができ良かったと思う」

「今後も続けてほしい。できれば来年は"二十一歳の船"も出してほしい。似顔絵がいい思い出に!」

「盛り上りが感じられず、乗船している人自身、あまり目的意識がない。参加者の自由を尊重したのだと思うが、たとえば午前中はいくつかのグループをつくり、どれかに参加し講義を聞き、意見をのべたり、考えたりする。昼食はお弁当にでもしてグループで楽しくすごす。そして午後の二時間ほどをレクリエーションにし、あとはフリータイムで海を見たり、話したり、ゲームを楽しんだりする。いま少し統一をとって、一日を有効に使いたい」

「ディスカッションに参加しなかった私もいけないのですが、ただゴーゴーを踊り、フォークソングを歌って…、こんなすごし方をしていいのかと疑問を持ちました。結局ダレ一人の名前も知ることができず、話もしませんでした」

「とても楽しかった。来年からは定員をなるべく多くしてほしい。船の関係もあるでしょうけど、こんなことは一人でも多くの人に楽しんでもらいたい。プログラムについてはいろいろな人と接する機会、友だちになれる行事を多くしてほしいと思います」

はたちのころをふり返って
市長宮崎辰雄

 私は幼稚園から小学校、中学校までずっと神戸ですごしましたが、ちょうどはたちのころといえば、旧制中学の四年から姫路高等学校へはいり、高校の寮生活をしていました。
 そんなことで、二年ほどの寮生活から神戸へ帰って来て最初に感じたのは、いま国鉄は高架で通っていますが、昔はあれが路面を走っていて国鉄の踏切が市内のいたるところにあり、南北の交通が大変不便だった。そこでこれを高架にしょうということで、その建設がはじまったころにたまたま私が帰って来たのです。そしてその時は、これができて下が自由に通れるようになれば大変便利になるだろうなと、非常にびっくりしたような気がしたものです。
 話が飛びますが、そのころ便利だと思ったことがいまでは、あんな高架が町のまん中にあって汽車や電車が走るのはどうかというような感じがあり、そのように、よりよき生活を求めて人間の意識は世代とともに変わります。
 それから、私のはたちのころと現在を比較して特に感慨深いのは、われわれの時代は思想の自由も集会の自由も何もありません。実に陰惨な時代でした。私は中学の受験勉強中も文学書をずいぶん読みあさったものですが、姫高にはいったころから社会科学関係の本に興味を持つようになり、社会科学研究会という会にもはいりました。ところが、そんな本を読んでいることがどこからか分かって、ときどき警察から来てブタ箱にほり込まれたこともあります。
 当時、私の同級に郵政大臣をした河本敏夫君がいて、彼が集会と言論の自由を認めよと学校側に要求し、学生大会を開いたんです。ただそれだけで河本君は退校になり、そのあと私が河本君の処分反対を主唱して、一週間の全学ストをしたため、こんどは私が退校処分になった。河本君はそのご日大へはいりなおしていまでは自民党の代議士になっています。私も警察の尾行やらいろいろイヤな思いをしながら立命館大へはいり、卒業後は役人になって今日に至っているわけですが、こんな若いころのいわば"回り道"がのちのちの自分にとってどうだったかはとにかく、私にはそんな経験があるだけに、現在のように自由にものがいえるということは何にもましていいことだと思うのです。
 人間の希望は無限にひろがります。この希望の拡大があればこそ世の中は進歩するのだと私は思います。その意味でも政治に対し、あるいは企業に対し自由にものをいい、批判をすることは非常に大事なことで、それがなくなれば"独裁"のもとに消え去るかあるいは進歩が止まってしまうでしょう。
 しかし一方では、批判すると同時にそのことに関心をもち、理解を深めることも大事です。さらには、関心や理解をもっても単にもちっぱなしではなく、自分たちがそれに関与して共に政治をよくしあるいは町をよくするそういう気持をぜひもってほしいというのが第一点。そして同時にそれがルールのない要求であり、行動であってはやはりいけないと思います。社会が存続する以上、その間には必ずルールがあるわけですから節操のある行動、いわゆる責任をもった"市民参加"をしていただきたい。市政を例にしますと、市政に対して市民のみなさんが関心をもち、そして参加し責任をもっていただく。この三つを兼ね備えた"市民像"になってほしいことを、特にみなさんにお願いしたいと思うのです。
 同時にわれわれもみなさんから常に注意を受け、建設的な意見を聞くことによって若い人たちのエネルギーを市政に生かすようにすれば、神戸はさらに立派な町になるものと私は信じます。
(はたちの船「青年会議」から集録)

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